北京滞在記 その4

本日もクィアー・フィルム特集。一時間早く、午前九時からスタート。眠い。
『Women Fifty Minutes(女人五十鐘)』(シ・トウ)は、チベットの少数民族の老女たち(仲良く並んで座っている)、都市部に住む若い同性愛の女性たち(公衆トイレの中でキスしたりする)の映像断片が目まぐるしくモンタージュされて、その間をおそらく作者自身によると思われるバイクからの前進移動ショット(バックミラーにキャメラを構えた作者が映る)が繋ぎ、さらにヘンテコなテクノ音楽が被さるという狙いのよく分からない実験映画風の作品。
『Carmen』(ジャン・ディ)は、ひと昔前の学生映画みたいな味わいの作品で、なぜか最初、万里の長城の壮大な空撮ショットから入って吃驚するが(たぶん他の作品からの流用で、本編とは全く関係がない)、田舎で思春期を過ごした美男美女のカップルの姿が寸劇風に示された後、そのイケメンの進学とともに二人は離ればなれになり数年が経つ。イケメンくんは北京電影学院の俳優科に在籍し、監督科に在籍するチョビ髭のゲイ男が撮っているドキュメンタリーのモデルをしているうちに、ゲイ男に迫られるが逃げる。学館ホールでイケメンが休んでいると、謎の女から携帯に電話がかかってきて、ホールの外に出てみると、高級車の側に見知らぬ美女が立っていて、彼女の誘いのままにその車で女の隠れ家に行き、そこで愛欲の一夜を過ごす。隠れ家は怪しげなバーの奥の部屋で、イケメンがそこから出て行こうとしても、用心棒が通さない。月日が流れ、女と喧嘩してそこを飛び出したイケメンは、通りかかったナイトクラブの前で電信柱に嘔吐している幼馴染みの女と偶然再会する。酔った彼女の部屋まで送り介抱するが、そのうち彼女に迫られる。すっかりアバズレになってしまった昔の恋人に幻滅してしまったイケメンはそこを飛び出す。そこからあれやこれやあって、再びゲイ男の撮影に参加するが、また迫られたイケメンは彼と決定的に決別する。それからさらに月日が流れ、電影学院の卒業式の日(ゲリラ撮影)、なぜかすっかりファッションがゲイ風になったイケメン(留年)は、タクシーで学院に乗りつけ、卒業する同級生の男(このシーンで初登場)と口論した後、彼と一緒に学院のトイレの個室に入ってメイク・ラブするのであった。おしまい。稚拙なところが沢山ある作品だったが、割と面白く見られた。
昼食後、「黄牛田電影」のガオ・ミンとチァオ・ダーヨンに呼ばれて、Iさんと四人で日中独立映画対談。「黄牛田電影」についてのドキュメンタリーを撮っている前田くんが撮影と通訳をしてくれ、一時間ほど日本と中国のインディペンデント映画の状況について話し合う。最後に同じテーマでオムニバス映画を一緒に作ろうということになったが、実現したら面白いと思う。途中、ワン・ウオと幼い娘さん(とっても可愛い)が入ってきて、少し話をする。「昨日見た『Noise』のワン・カット目からあなたが何を意図したか分かりました」と私がいうと、「同世代だからね」と彼は言い、「だけど自分が教えている学生たちに「8964」という数字から何を連想すると尋ねたら、バストとウエストのサイズですか、という答えが返ってくるのだから呆れるよ」と苦笑(ちなみに、この数字は「89年6月4日(=天安門事件)」のこと)。どこの国でも若者の歴史=政治意識なんてそんなものか
『Lost in You』(ジュ・イィエ)は、同性愛の女の子ふたりがいろんな場所で、好きだの嫌いだの言っているだけの作品。
『Tangtang(唐唐)』(ジャン・ハンズ)は、人気ドラッグ・クイーンがインタビューの最中に猟銃で自殺する疑似ドキュメンタリー風のショッキングな映像から始まり(混乱するスタッフたちの様子でカット)、次にそれまでの経緯が語られ始める。ドラッグ・クイーンの彼の日常をキャメラは追い、そのステージの模様や舞台裏などを見せていく。途中、彼に恋人ができ(もちろん男性)、二人の幸せな様子がイメージ・ショット風にモンタージュされ(このあたり安易)、カップルの間に亀裂が走り、二人は別れるが、一方、ドラッグ・クイーンのファンであるレズのカップルの様子が並行して描かれ、彼女たちにも別れが訪れた後、その片割れの女性とドラッグ・クイーンが同棲しはじめる。この間、ドキュメンタリーとして撮られているが、目の肥えた観客には冒頭の自殺シーンがフェイクだとすでに分かってしまっているので、その後の映像も演出がかなり介在していることが分かる。それでも興味深く見ることができたのだが、ラストで仕事にも恋愛にも行き詰まったドラック・クイーンのインタビュー〜自殺シーンに回帰した後、「カット!」というオフの掛声とともに、屍体のふりをした血まみれの彼が突然起き上がり、キャメラ=監督に向かってにこやかに「これを見る人は、この作品が嘘なのか真実なのか、迷うわね」といったことを告げて作品が終わるので、見ているこちらとしては、ナメとるのか貴様!と怒鳴りたくなった。
『The Man on the Ridge(屋脊上的男人)』(ジャン・レイ)は、二人の男性の心の交流を心象風景的なイメージで見せていたような気がするが、あまり印象に残らず。
『Summer Solstice(夏至)』(リ・ルォイジュン)は、夫が失踪している平凡な子持ちの主婦が、彼を訪ねてきた偽坊主姿の義弟と一緒に生活を始めるが、彼女が市場で倒れた時に介抱してくれた女性と恋愛関係になり、その女に唆されて、すでに関係を結んでいた義弟を毒薬で殺害しようとするフィルム・ノワール風物語の作品。一ショット、一ショット、丁寧に撮られていてなかなか見せるが、肝心の義弟殺害シーン(結局、毒薬入りの飲み物は幼い娘が誤って飲んでしまい、二人は彼を撲殺する)のアクションの撮り方がもたついていて、駄目。こういうところに映画作家の力量というのは残酷に現れてしまうものだ。
『Shasha(莎莎)』(リィウ・ボ)は、本日一番の収穫。これが見られて本当によかった。ドサ回りをする女芸人とその恋人であるダンサー(もちろん女性)の再会と別れまでを描くドキュメンタリーだが、女芸人がステージで唄う歌謡曲が実に心に沁みて、見ていて涙してしまった。そのシーンの直後にくる彼女のインタビューも、英文字幕がついていないから具体的にどんな内容を話しているのか分からないにも拘わらず、その時の彼女の表情、声、身振りから彼女の置かれている孤独が痛いほど伝わってきて泣ける。女芸人が恋人と喧嘩した後、部屋で仲直りの抱擁をする二人に手持ちキャメラが近づいていくのはテレビ的な下品さを感じるが、そのキャメラを恋人の手が覆い隠すことでこのショットは成立している。ラスト、恋人に去られた女芸人が公園で佇むアップからその背景のベンチに座る幸せそうなカップルにピン送りするのはさすがにやり過ぎだが、それ以前のパートがあまりにもよかったので目をつぶる。この作品、いわゆる「ドキュメンタリー」としてはかなり優れていると思うが、では「映画」なのだろうかというと考えさせられる。
上映終了後、皆でジュ・リークンの事務所にお邪魔する。先客でヤマガタのHさんがいて、「あ、Tシャツ買ってくれた人!」と言われる。私がアジア千波万波のTシャツを買ったのを覚えてくれていたのだった。