三時間ほど仮眠してから、中国独立ドキュメンタリーを巡るシンポジウムを聞きに横浜ZAIMまで。黄牛田電影と日本の若手ドキュメンタリー作家との討議では、最初の段階で日本側の出席者の一人から発せられた黄牛田作品における「私性」の不在あるいは希薄さに対する疑義がきっかけで約三時間にわたって両者の会話は平行線を辿り、「日本側の問い/黄牛田の答え」という構図に終止してしまったのは残念である。
私見を述べさせてもらうならば、撮り手の「セルフ」をスタンダードとして、それを尺度にドキュメンタリーを評価する態度の方がおかしいのであって、DVキャメラの普及以降、現代の日本の若手ドキュメンタリー作家にとって「セルフ・ドキュメンタリー」というのが出発点において自明の環境としてあるのかもしれないが、ドキュメンタリー映画百年の歴史をつぶさに見ていくならば、そうした「セルフ・ドキュメンタリー」などといったものが近年の日本の特殊事情が生み出した産物に過ぎないことは一目瞭然である。現代の作家だけに例を限ってみても、善かれ悪しかれ、河瀬直美フレデリック・ワイズマンを両極とする空間のどこかに現在の個々のドキュメンタリー作品は位置づけられうるのであり、求められるべきはその空間からのブレイクスルーである。であるがゆえに、土本典昭佐藤真という巨星(両者の作品は「セルフ・ドキュメンタリー」の対極にあった)を失った後の日本のドキュメンタリー映画の空間に残るのが「セルフ」という病の蔓延であるとしたら、それはそれで暗澹たる未来だと思う。
また問われていた「私性」が、具体的な画面への撮り手のプレザンスを指しているのか、それとも、作品を統括する作り手の姿勢を指しているのか、が曖昧だったことも議論を混乱させる一因だったように思われる。もし前者であるなら、それはあまり本質的な問題ではないし(すでに述べたようにドキュメンタリー映画にあっても、歴史的にみて、撮り手が画面に現前する方がむしろ例外的な事態である)、もし後者だとしても、被写体を撮り、それを編集するという行為の過程には、どんなに当人がそれを回避しようとしても、そこに作者の世界に対する態度というものは現れざるをえないし、それこそが全てを引き算(映画を撮ることは私ではなく世界にキャメラを向けることである)していったあとに残滓として残る「私」と呼ばれるべきものである以上、そもそもそうした問いはナンセンスである。つまりそれは偽りの問題であって、ベルグソンドゥルーズが述べるように、間違って立てられた問いからは正しい答えは出て来ない(適切に立てられた問いと同時に答えは出現する)。あるいは先の問いかけは撮る行為を通じて変化した/しなかった「私」が実は真の賭け金であったのかもしれないが、変化したかしないかは他人から見てのことであって、実感を頼りにいくら自分が変化したと思ってもそれは単なる思い込みに過ぎない場合もある。であるがゆえに、これも偽りの問いである。
すでに述べたように「日本側の問い/黄牛田の答え」というふうに事態は推移したが、そこに欠けていたのは「黄牛田の問い/日本側の答え」という「切り返し」であり、この「切り返し」こそ、「セルフ・ドキュメンタリー」にそもそも欠けているものに他ならない。
また参加者の一人から、今の中国にはキャメラを向ければ映画になるような素材がゴロゴロ転がっているが、今の日本にはそういう変化がない、というような素朴な意見が提出されたが、これは「隣の家の芝生は青く見える」というのと同じことで、一見、何事もないような平板な私たちの日常にも超低速/超高速で変化は起きているはずであり、あまりにも遅すぎて/早すぎて、日常に慣れきってしまった目には見ることのできないものを取り出して、目に見えるようにしてみせるのがドキュメンタリー映画作家の務めだと思う。それを気づかないものにしているのは、私たちの感性の麻痺と想像力の欠如に他ならない。

シンポの後、皆で呑み。関係者の皆さん(特に今回の上映・シンポに関わった女性陣)お疲れ様。