蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.17

hj3s-kzu2007-03-31

本日のお題は「日本の幽霊―「見えるもの」と「見えないもの」―」。まず蓮實重彦氏による序言を以下に引用する。

存在―見えるもの―を被写体として、それを二次元空間に、動きとともに再現する技術として人類の資産となった映画は、その誕生いらい、非在―見えないもの、ありえないもの―をどう表象するかにも憑かれていたといってよい。無声映画時代から、さまざまなトリック撮影(フィルムの逆回転、etc.)が、想像、幻想、変容などを描くにふさわしい技法として、たんなる現実の再現とは異なる映画の魔術的な機能を繊細化してきたのである。だが、幽霊(や怪物)は、その魔術的な機能の変遷としてのみ考察さるべき主題ではない。1980年以降、CGをはじめとするテクノロジーの進歩は、見えるものと見えないものの表象をめぐって、映画に本質的な変化をもたらしたのか、もたらさなかったのか。『キャット・ピープル』の二つのヴァージョンを例としてそれを検証しつつ、見えないものの映画性に改めてアプローチしてみたい。

以下は私なりの要約である。

最近、アカデミー賞を獲得したアメリカの某監督から蓮實氏のもとに、ヴァル・ルートンについてJホラーの某巨匠にインタビューせよとの依頼があったとのこと。ヴァル・ルートンとはもちろん1940年代のRKOでBユニットを率いて数々の怪奇映画の傑作をつくったプロデューサーである(ジャック・ターナーの他にはぜひとも『第七の犠牲者』(マーク・ロブスン)を見てもらいたいとのこと。傑作!)。その代表作の一つと言ってよい『キャット・ピープル』(ジャック・ターナー、1942)から、夫の同僚の女性(ジェーン・ランドルフ)に嫉妬したシモーヌ・シモンが豹に変身して彼女を襲う名高い夜の室内プール(と更衣室)の場面。ここでは直接、われわれは豹を目にすることはないが、ターナーは視覚的、音響的な技法を駆使して、ジェーン・ランドルフに襲いかかる恐怖を見事に表象している。これに比べるとリメイク版『キャット・ピープル』(ポール・シュレイダー、1982)はできの悪いコピーにしか過ぎず(これは実際に見て確かめてもらいたい)、あろうことか別の場面ではナスターシャ・キンスキーが豹に変身する様子を特殊メイクでわざわざ見せている(ちなみにこれはジェリー・ブラッカイマーの初期プロデュース作でもある)。「見えないもの」をいかに表象するかというオリジナル版の試みは「日本の幽霊」を考える上で重要な示唆を与えてくれる。さらに予備的考察としてもう一点、やはりルートン=ターナーのコンビで撮られた『私はゾンビと歩いた』(1942)を見てみよう。「ゾンビ」というと今日のわれわれはつい血塗られた屍体が歩く様子を連想してしまうが、映画史上最初に「ゾンビ」が現れるこの作品では、屍体のように意識のない生者を指している。ここでフランシス・ディーに連れられてサトウキビを進んでいくゾンビと化した美女の無気味さは、意識を持たない存在が動くことの不気味さという点において、やはり「日本の幽霊」に通じるものがある*1。例えば『四谷怪談』(三隅研次、1959)では、伊右衛門(長谷川一夫)の居る武家屋敷の廊下を幽霊となったお岩(中田康子)が音もなくスーッと進んでいく。また幽霊ではないものの長谷川一夫の肩に画面外からそっと置かれる「手」が印象的だが、日本の怪談映画では後に見るように「手」がしばしば強調される。
「幽霊」を扱った怪異ものは様々なトリック撮影とともに日本映画の最初期、マキノ省三の時代からあったことが、今は現存していないフィルムのタイトルなどから察せられるし、実に多くの監督たちがそうしたものを撮っている。そして一見そうしたものとは無縁だと思われている成瀬巳喜男でさえ『歌行灯』(1943)では、花柳章太郎の見た悪夢という形でではあるが、雪の降る夜道を彼に向って歩いてくる幽霊を登場させている。さて「四谷怪談」は様々な映画作家が映画化しているが、その中の異色作とも言うべき『四谷怪談・前後篇』(木下恵介、1949)ではこの怪談が合理的な解釈のもとに描かれている。だが「占領下の日本映画」としては、これはこれで妥当なものである。なお「四谷怪談」の映画化に際して、伊右衛門の人物像をどのように造型するかには二通りの系譜があり、この作品の上原謙のような優男タイプと、天知茂や若山富三郎、佐藤慶といった野心家タイプである。「真景累ヶ淵」(中田秀夫も最近リメイクした)の映画化である『狂恋の女師匠』(溝口健二、1926)は残念ながら現存しないが、溝口が「幽霊」をどのように描いたかを『雨月物語』(1954)で確認してみよう。ただしここでは京マチ子の悪霊が登場する場面ではなく、家に帰った森雅之田中絹代に再会する場面を見る。作中人物としての森は彼女が幽霊であることを気づいていない。彼女はあたかも生きている人間のように描かれているのだが、ある瞬間にただ音楽が流れるだけで彼女が幽霊であることを溝口は観客に示してしまう。こうした溝口の姿勢に比べると、『蜘蛛巣城』(黒澤明、1957)の冒頭で三船敏郎と千秋実が森の中で出会う「幽霊」を長過ぎるとも言えるほどの時間をかけて、照明その他で念入りに観客にそれが幽霊であることを納得させようとする黒澤の姿勢は、観客の映画的感性をあまり信頼していないように思われる。
カラーの時代に入ると日本映画でこうした怪異を扱ったものの中では「キツネ憑き」の主題を扱ったものの中に面白いものが多いようである。「葛の葉」伝説を下敷きにした『恋や恋なすな恋』(内田吐夢、1962)では、大川橋蔵に助けられたことのある白狐(瑳峨三智子)が登場するが、この映画ではその場面が様式化されて表現されていて、瑳峨は狐の面を被って演じている。日本映画で狐の面が出てくるのは何もこの作品で終わったわけではなく、『夢』(黒澤明、1990)の「狐の嫁入り」のエピソードでも同様の様式化がされているし、この狐をめぐる想像力とも言うべきものは深作欣二までをもとらえた。『忠臣蔵外伝・四谷怪談』(1994)で、夜の境内で佐藤浩市が荻野目慶子の一行に出会う場面でも同じような表現がとられている。また『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順、1980)ではキツネ憑きの大谷直子が登場する。彼女は藤田敏八を手招きするが、ここでもやはり彼女の「手」の仕草が印象的である。
さて「四谷怪談」は様々な優れた映画作家が映画化しているが、『東海道四谷怪談』(中川信夫、1959)、『怪談・お岩の亡霊』(加藤泰、1961)、『四谷怪談・お岩の亡霊』(1969)のいずれにおいても生者を死の側に招き寄せようとする「手」が出てくる(実際に個々の作家がどうこの原作と取り組んでいるか、妹お袖のもとにお岩の幽霊が現れる場面を見比べてみると面白い。また今回取り上げられなかった『四谷怪談』(豊田四郎、1965)もぜひ見て欲しいとのこと)。このことは『愛の亡霊』(大島渚、1978)で吉行和子のもとにジッと座る田村高廣の幽霊においても同様である。
日本映画における「幽霊のスペシャリスト」ともいうべき存在が中川信夫であることは言うまでもない。ただ『東海道四谷怪談』のような新東宝作品に比べて、彼が東映で撮った『怪談・蛇女』(1968)はあまり見られていないと思うが、これは蓮實氏が偏愛する一本でもあり、ラスト10分間の圧倒的な展開を見るだけでも、この作品の凄さが分かるだろう。怪談映画では日常生活の基礎描写が重要になってくるが、その点においてもこの映画は素晴らしい場面に満ちている。また、この作品で印象的に現れる車輪や、「四谷怪談」に登場する傘など、このジャンルは「円環」のモチーフと親和性が高い(『蜘蛛巣城』や『愛の亡霊』のすでに見た場面でも同様)。「四谷怪談」をはじめとしてこれまで見てきたものの多くは時代劇に分類されるが、今回扱えなかった黒沢清に到るまでの多くの作品のために、次回行われるはずの現代劇編のための予告として『憲兵と幽霊』(中川信夫、1958)から、濡れたトランクがひとりでに開いてヌーッと手がのびてくるのを天知茂が通りがかりに目撃してしまう場面を見て今回の講演は終わった。

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a)『白い悪魔が忍びよる』(田中登)○

*1:なおターナーのこの二つの場面については、こちらも参照のこと。
http://www.flowerwild.net/2006/07/2006-07-03_223827.php