通し狂言「摂州合邦辻」を観に国立劇場へ。歌舞伎座と比較してこの劇場の長所は、まず何と言っても料金が安いことと、どんな席からでも花道の七三がキチンと見えるということだろう(歌舞伎において花道の七三が見えるというのはかなり重要)。席の座り心地もこちらの方がよい。気のせいか、三階席でも舞台がかなり近く感じられる。一方、短所というほどのものでもないのだが、歌舞伎座にあるあの猥雑さが国立劇場には欠けている。何と言うか、滅菌処理されたような感じなのだ。この猥雑さも芝居小屋にあっては重要なファクターだろう。とはいえ、来月は菊五郎なのでまた行くつもり。さて「摂州合邦辻」は継母(玉手御前)が自分と年の変わらない息子(俊徳丸)に狂恋するという凄まじい話(実は最後にドンデン返しがあって、その強引さも凄い)。この芝居では特にクライマックスの「合邦庵室」の場がよく上演されるようだが、何せ四時間近くもある芝居で、しかもスタートが午前11時半だったものだから、睡眠不足のため、「合邦庵室」まできた時には気力の限界か、半分うとうとしながら見てしまった。もったいない(バチ当たりともいう)。とはいえ、扇雀の浅香姫が海老ぞりになったところに富十郎の玉手御前がのしかかるところはやはり凄く、そこだけ一気に目が覚めた。ついつい映画的な視点で見てしまうので、最後の庵室で一同が勢ぞろいする時の人物配置が舞台の中心に集まりすぎてゴチャゴチャしているような気がしてならなかった。
帰りにシネマヴェーラへ。数日前に「映芸」を立ち読みして、ここの館主の発言に違和感を感じたばかりだったので、今行くのもどうかと思ったが、ラス・メイヤー見たさに仕方なく。ただあの問題発言は割と映画ジャーナリズム一般に共有されている偏見の現れに過ぎないと思う(つまり氷山の一角)。*1「批評家/ブロガー」という対立自体、偽りの問題に過ぎないし(そういえば昔、「nobody」で当時の編集長が「雑誌/ブログ」というこれまた偽りの問題を提起した時も、「何を馬鹿なことを、下らん」と思ったものだ)。要するに、これって既得権益者が新参者に対して示す、恐怖感からくるヒステリー的防衛反応みたいなものじゃなかろうか。そもそも「ブログ」という言葉自体、個人的にはあまり好きではない。他人からここを「ブログ」と言われると、いやただの「日記」です、と言い直したくなる(まあ面倒だから言わないけど)。
閑話休題。で、今回見直して驚いたのは、何といっても『ジャッキー・ブラウン』で、公開当時の私は今より心が狭かったので(「原理主義的」ともいう)、例の試着室のシーンでの時制の操作を見て、せっかく前二作とは違ってここまで直線的な語りでいい感じに流れていたのに、またいつもの悪い癖を出しやがって!と思い、この作品の価値を全く認めたがらなかったのだが、見直してみると、やはりあの時制操作には違和感を覚えるものの*2、むしろこの作品全体を覆う抑制されたトーンが貴重なものに思える。『キル・ビルvol.2』の結婚式のシーンを見て、私も「タランティーノにこんなことができるなんて!」と驚いたが、何も彼は突然上手くなったわけではなかったのだ。『ジャッキー・ブラウン』を見ればそれが分かる。以前、CHIN-GO!くんと『デス・プルーフ』の話になって、「タランティーノの最高傑作は『ジャッキー・ブラウン』!」と彼が言い切ったので、私も「うっそー!」と返したのだが、彼が正しかった。何よりもこれは、「歳をとること」(より正確には「歳をとってしまうこと」)についての映画だ。十年前の私が分からなかったのも無理はない。
a)『ファスター・プッシーキャット キル!キル!』(ラス・メイヤー)◎
b)『ジャッキー・ブラウン』(クエンティン・タランティーノ)◎

*1:とはいえ、せっかくシネマヴェーラのサイトに「館主のひとりごと」というコーナーがあるんだから、この件に関して発言者自身が何か釈明してしかるべきだとは思う。

*2:あとフラッシュバックの使い方が下手。