a)『不法労働』(イェジー・スコリモフスキ)◎
b)『靖国 YASUKUNI』(リ・イン)×
c)『孤独に馬を走らせろ』(バッド・ベティカー)◎
私は政治的には左寄りなので、靖国神社の境内に集まる仮装行列や、南京大虐殺などなかったと言い張る歴史修正主義者や、民族差別的な言辞をヒステリックにがなり立てるキチガイには反吐が出る。このことを確認した上で言うと、やはり『靖国』は「映画」として駄目だと思う。それは映画作家が持つべき最も重要な資質だと私が考える被写体への敬意が欠けているからだ。それが端的に表れているのは、冒頭の刀匠のシーンのすぐ後に仮装行列を繋げるモンタージュだろう。作者は刀匠を映画的に「搾取」しているし、そのことに何の痛みも感じていないようだ。緊張感を欠いた映像、音響、編集のせいで前半は退屈で仕方なかったが、中盤の合祀反対の台湾人女性が登場するあたりからやや興味を引かれ、靖国反対を叫んで返り討ちにあうバカ学生のシーンも悪くなかったが、ラストのモンタージュで白けた。音楽の付け方も最悪。ちなみに境内に集まる右寄りの人たちにもいろいろな立場があることを私は以前、映画美学校のドキュ科生が作った『メイド イン J』(id:hj3s-kzu:20070909)という作品(とその元になった中編)を見て知っていたが、『靖国』に欠けていたのはそうした微妙な差異についての感受性だろう(とはいえ『メイド イン J』も映画的には全く褒められないが)。『靖国』の作者は撮る前からある予断を持っていて、撮る行為がその予断の再確認にしかなっていないので、見ているこちらも何の驚きもないし、明らかにその予断に観客を誘導するようなモンタージュがなされているのもどうかと思う。あと三十分短ければもう少し「映画」として見られるものになっていたかも知れない。