赤と黒

a)『シヴィリゼーション』(トーマス・H・インス)
b)『“男たちと共に”演技するレオ』(アルノー・デプレシャン
b)赤と黒。この映画はこの二つの色彩をめぐる作品である。といってもスタンダールの同名の小説とは何の関係もない。むしろデプレシャンが参照しているのは、劇中で彼自身の口から告げられるようにシェイクスピアの『ハムレット』である。より正確には、赤い染みと黒い染みをめぐる映画と言い換えてもいい。この映画を見たものならば、はっきりとその二つの染みを目にしているだろう。前者は元潜水艦の乗組員だった黒人の召使が食事の最中に、怪我をした同僚の腕から彼の食卓に滴り落ちた血痕として、後者は会社乗っ取りをめぐる契約書にサインする主人公レオの万年筆から零れ落ちたインク痕として。黒人の召使はその血痕をパン切れで拭い、それを食べたことがきっかけで潜水艦の乗組員としての立場を失うことになるし、レオはその契約書にサインしてしまったことがきっかけで次期社長としての立場を失うことになるのだから、これら二つの染みは、物語を語る構造上、重要な意味をもっていると考えて間違いない。さて赤い血痕を「血縁」、黒いインク痕を「契約」という二種の関係を表象するものと考えてみよう。するとこの物語は主人公レオが血縁関係と契約関係といった二者択一の間で揺れる物語であることがただちに理解される。こうした二項関係は作品のいたるところで見出すことができるが、中でも最大のものは、この作品のフォルムを規定するフィクション/ドキュメンタリーという二項関係だろう(この映画は通常の物語映画のパートとそのリハーサル風景とが交互に、さらには物語が進むにつれて、例えば物語映画のパートの切り返しショットとして、そのリハーサル時の映像が使われる、というように構成されている)。こうした二項関係がこの作品の全編を貫いている以上、登場人物が男たちばかりのエドワード・ボンドの戯曲の映画化(「In the Company of Men」)として始まったはずの物語が、さきに述べたように『ハムレット』を導入し、そこから女性=オフェーリア(アナ・ムグラリスが美しい)を借り受けてくるのは構造的な必然と言うべきだろう。レオとその父親は視覚的にもアラブ/ヨーロッパという二項関係を想起させ、この作品を見る者は最初、二人が親子であることを知らされ、それが戯曲の映画化であることを考慮してもなお異和感を覚えるのだが、中盤で実はレオが養子であることを知らされる。ここで父親の口から驚くべき挿話が語られるのだが、それは情緒不安定になった彼の妻が、赤ん坊のレオに輸血用パックいっぱいに入った血を彼にふりかけたという事実である(このシーンはかなりショッキングである)。この奇妙な儀式においても、「血」が象徴的に血縁関係を保証するための機能を果していることが確認できる。*1ではこうした二者択一から逃れることはできないのだろうか。あからさまにイラク戦争を想起させるモニター映像が冒頭に映し出され、しかも登場人物たちが関わっているのが兵器産業であるように、レオが強要される二者択一とは、現実世界において私たちが直面している政治的状況の隠喩でもある。デプレシャンのとりあえずの解決案はこうだ。精神分析医によってロールシャハ・テスト(それは様々な形の赤と黒のインク染みが何に見えるかを答えさせるものである)を受けさせられた黒人の召使が「インク染み!」と叫んだようにメタレベルに立つことである。だがそれで事は済むのだろうか。そうでないことは、中間的な存在であるレオに首吊り自殺を試みさせ、文字通りの宙吊り状態を強いたデプレシャン自身がよく知っているはずである。*2
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飯田橋の居酒屋で坂本さん、福崎さん、土田君、角井君、マーク君と飲む。マーク君はバークレー校でマスムラを研究しているそうな。ならばとすかさず新文芸坐の増村特集のチラシを差し出すと「キョジントガング」などと正確な発音で漢字を読むのでややうろたえる。ダニエル・シュミットを見たことがないという彼に「増村好きならシュミットも絶対好きだよ、ねね」と坂本さんが同意を求めるので、そういえばそうかもと思ったり。その他、ここには書けないフロドン裏話などで盛り上がる。土田君がB型だという話には一同深く納得。初対面の福崎さんもこのサイトを読んだことがあると判明し、恐縮。いやはや世間は狭い。やたらなことは書けませんな。福崎さんから「切り返しくん」なる渾名を頂戴する。愉快なお酒だったのではや時刻は十二時近くに。角井君のルノワール論は果して完成するのだろうか。がんばれ。

*1:これに対応するのが、レオが空弾と実弾をすり替えた(二項関係)ライフルで父親を狙う緊迫感あふれるシーンである。血縁関係と契約関係との矛盾が極大化したことの帰結として生じたこの事件は未遂に終わるのだが、レーザーの照準器の赤いポイント(つまり赤い染み)は父親の心臓のあたりに送り返されている。

*2:この映画のスタイルを特徴づける、絶えず視点を変える定まらない手持ちキャメラの使用はこのことと関係しているかもしれない。