TOKYO FILMeX2007 その6

a)『私たちの十年』(ジャ・ジャンクー)△
b)『東』(ジャ・ジャンクー)△
c)『アンジェラ・マオ 女活殺拳』(ファン・フェン)◎
『私たちの十年』は、工業都市を遠ざかる列車からの移動ショットに始まり、工業都市に近づく列車からの移動ショットで終わる。列車のコンパートメントをひとつだけ使い、ティエン・ユアンから見たチャン・タオ演じる女性の「十年」(それはジャ・ジャンクーが『小山の帰郷』を撮って以来、経てきた年月と同じである)を描くのだが、前者が後者の像を捉える道具として、スケッチブック、中型カメラ、ポラロイドカメラ、デジカメ付き携帯が順に登場し、その「十年」の間の急速な近代化が仄めかされている。チャン・タオは初め一人で、次に恋人とともに、さらには彼との間にできた赤ん坊を抱いて登場するのだが、初めはあれほど人々に満ちていた客室も、最後は彼女たち二人だけになってしまう。なぜ一人なの、というティエン・ユアンの問いに、どうしていつも一人なの、と逆にチャン・タオが問い返して物語は閉じられる。それまでのシーンでは厚着をしていた二人がTシャツ一枚でそれぞれマスクを着用しているところから、経済発展に伴う環境汚染などが想像されるが(それによってチャン・タオも夫と子供を失ったということなのだろう)、そうした隠喩性に傾斜しているところにこの作品の弱さがあるように思えてならない。やはりこの作品でも主役たちを捉えた画面より、乗客の市井の人々を捉えた画面の方が圧倒的に充実している。なお新人女優のティエン・ユアンは魅力的。
『東』は、中国の現代画家が三峡ダムで働く男たちを描く過程が前半、その彼が今度はバンコクの女たち(はっきりと言及されてはいないがおそらく娼婦だろう)を描く過程が後半で語られる。「男たち/女たち」という対比は分かるのだが、なぜ「三峡ダムバンコク」なのだろうか。労働する女(そして男たちを表現するフレーズとして画家が語った「生のエネルギー」)という観点から、「娼婦」が選ばれ、中国で娼婦たちを描くのには差し障りがあったから、中国から比較的近い場所として「バンコク」が選ばれたということなのだろうか(もっとも画題を選んだのは画家であって、映画作家ではないのだから、この映画にその説明を求めても無駄かもしれない)。ダム労働者の一人が事故で(?)死に、画家がその遺族に会いにはるばる寒村まで出かけるのだが、この映画でもやはり市井の人々たる遺族たちの顔が素晴しい(とはいえこのシーンの最後のショットで涙を溜める老人の顔のキャメラ目線のアップをあんなに長々と撮っているのには、撮ることの倫理という観点からすると疑問を覚える)。興味深かったのは、バンコクの女たちに向けられた時よりも、ブリーフ一枚でポーズを取る半裸の男たちに向けられたキャメラの方が充実していることだ(女たちへの関心が画面からはあまり伝わってこない)。モデルの女たちの一人(彼女の美しさは大勢でいた時にすでに際立っていた)の下宿先までキャメラはついて行き、彼女が帰省するために駅に行くまでを撮り続けるのだが(彼女が見ていたテレビニュースに映る洪水に見舞われた土地がその故郷なのだろう)、作品全体の中でこのシーンが占める機能も不明である(単に被写体としての彼女に惹かれたというだけなのだろうか。だとしてもこのシーンは長過ぎる。ついでに言えば、生身の彼女を捉えたショットよりも、眠る彼女を描いた絵のショットの方が生々しいエロスが宿っている)。最後に映画はバンコクの夜店を回る盲人の流しを捉えて終わる。作品全体の構成にあまり考えられた形跡が見られず、シーンとシーンが何となく繋がっている感じ。それと林強の音楽はこの作家にはミスマッチだと思う。ジャ・ジャンクーにはやはり歌謡曲がかからないと。*1
個人的には最後に『アンジェラ・マオ 女活殺拳』が見られて本当に良かった。1970年代に数多く作られた香港アクション映画の一本だが、「アジアの新・作家主義」を標語として掲げていたこの映画祭でもっとも面白かった一本が、「作家主義」などとは無縁な場所で撮られたこの娯楽映画であることを考えると、「作家主義」という言葉のねじれ(御承知のように1950年代の「カイエ」の旗印となったこの言葉は、現在一般に流通しているのとは逆の意味で使われていた)が映画にもたらす弊害というものを改めて考えさせられた(それを端的に示すのが『それぞれのシネマ』であろう)。
映画祭は明日まであるが、このレポートはこれで終わり。
なお『接吻』(万田邦敏)を今回再見することができなかったが、この傑作については、もう一度見た上で、一般公開に合わせて何か書くつもり。

*1:と書いて気づいたが、そうか最後の流しは歌謡曲を聞かせたいがためだったのね。