現代映画論
昨年に引き続き、東海大学文芸創作学科(湘南校舎)で「現代映画論」を講義します。毎回、テーマに関連する映画を一本見て、それから講義をします。
概要は昨年と同様なので、以下をご覧下さい。
http://hj3s-kzu.hatenablog.com/entry/20120926
授業スケジュールを若干変えたので以下に挙げておきます。
1. ガイダンス/アンドレ・バザンと作家政策
2. ヌーヴェル・ヴァーグ
3. ネオレアリズモ以後のイタリア映画
4. ソ連・東欧映画の新潮流
6. ダイレクト・シネマ/シネマ・ヴェリテ
7. ニュー・ジャーマン・シネマ
8. ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ
9. アメリカン・インディーズとニュー・ハリウッド
10. 台湾ニューウェイヴと中国第五世代
11. イラン・ニューシネマ
13. ポルトガル映画の新潮流
14. スペイン映画の新潮流
15. つねに「新しい波」
映画史入門
「現代映画論」に引き続き、東海大学文芸創作学科(湘南校舎)で「映画史入門」を講義します。毎回、テーマに関連する映画を一本見て、それから講義をします。以下、概要。
科目名:映画史入門
担当者:葛生 賢
水曜日 3-4時限
3限 13:25-14:55
4限 15:10-16:40
授業のテーマ:古典映画の発展と危機
1. 授業要旨または授業概要:
私たちが普段目にしている映像表現の源流は、19世紀末に誕生した映画にあります。映画はそこから今日に至るまで、約120年近い歴史を持っています。それはワンカットだけの記録映像として始まった映画が、次第に複雑な物語を語るメディアとして発達していったプロセスです。と同時に映画の持つ出来事を記録する力は、否応なく世界大戦を初めとする現実と関わりを持っていくことになります。そして1960年辺りを境に、映画は自らと現実との関わりについての反省を踏まえて「現代映画」と呼ばれるものへと発展していきます。
この講義では映画誕生から1960年までの約60年間の歴史を振り返ってみたいと思います。それによって、私たちが普段当たり前だと思っている映像表現を批判的に再考してみる視線を獲得することを目指します。
なお1960年以降の映画史については秋学期の「現代映画論」で扱います。
映画についての予備知識は必要としませんが、普段から各自、講義以外でも積極的に様々な時代や国の映画を見たり、それについての批評を読んだりすることが推奨されます。
2. 学習の到達目標:
1) 映画誕生以後の約60年間の映画史の流れを概観できること
2) 様々な映画運動の代表的な映画作家とその作品についての知識を習得すること
3) 映画の具体的な画面と音響を記述できること
4) 単なる感想文ではない、論理的な文章を書けるようになること
5) 映画を見て、映画史的な知見を踏まえつつ、その具体的な細部を手がかりに、説得力のある仕方で、自分なりに批評できること
3:授業スケジュール
1)ガイダンス
2)初期映画
3)古典的ハリウッド映画の発展(その1)
4)古典的ハリウッド映画の発展(その2)
6)ソヴィエト・モンタージュ
7)ドイツ表現主義
8)サウンド到来後の古典的ハリウッド映画
9)フランス詩的レアリスム
10)ドキュメンタリー映画の発展
11)イタリア・ネオレアリズモ
12)戦後ハリウッド映画(その1)
13)戦後ハリウッド映画(その2)
14)日本映画(その1)
15)日本映画(その2)
4. 教科書・参考書:
参考文献 映画史を学ぶクリティカル・ワーズ 村山匡一郎編 フィルムアート社 2,100円
告知です リュック・ムレ論ー乏しさの詩学(1)
Happy New Year !
よいお年を!
大晦日なので一年を振り返る。今年は「バカの壁」ということについて本当に色々な局面で考えさせられた年だった。学習回路の閉じた人間は実に害悪である。さて本業の方では近年稀にみるほど生産性の高い一年だったと思う。ムルナウとブレッソンという大巨匠についての長めの論考をほぼ同時に書き上げ、さらに同時期にリュック・ムレについての講演をした(来春その続編をアテネで行う予定)。さすがにこれはキツかった。しかもその直後に大学で映画についての講義を毎週行うことになった。これも毎週別のテーマで講演をやるようなものなので結構しんどかった。これによってわかったのは、今の日本社会で映画というのは実にマイナーな位置を占めているのだなということだ。映画を見て単位が取れるので楽だということで百人を超える学生が受講するが、本当に映画に関心がある者は実に少ない。また例年、予備審査の仕事をしている国際映画祭で、自分の担当した作品がコンペでグランプリを取ったのは我が事のように嬉しい出来事だった。しかし楽しいばかりのこの一年でもなかった。中でも最も悲しい出来事は敬愛する友人の安川奈緒さんが早世してしまったことである。詩壇だけでなく、映画批評にとっても大きな損失だと思う。炭鉱のカナリアのように感受性の鋭い人だった。と同時に酔うと実に豪快に笑う人だった。また親しい友人が行方知れずになってかれこれ八ヶ月近くになる。元気でいてほしい。日本社会がこれから良くなることはあり得ないが抵抗していきたい。
告知です 映画の金曜日
映画の金曜日 第4回
9月28日(金)
アテネ・フランセ文化センター
18:00-上映「密輸業者たち」(76分)※デジタル上映
19:30-講演「リュック・ムレー乏しさの詩学」講師:葛生賢(映画作家・映画批評家)
詳しくはこちら
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/fri/friday.html
現代映画論
東海大学文芸創作学科(湘南校舎)で「現代映画論」を講義することになりました。毎回、テーマに関連する映画を一本見て、それから講義をします。以下、概要。
科目名:現代映画論
担当者:葛生 賢
水曜日 3-4時限
3限 13:25-14:55
4限 15:10-16:40
授業のテーマ:ヌーヴェル・ヴァーグとその歴史的展開
1. 授業要旨または授業概要:
現在、われわれは映像に取り囲まれて生きています。携帯電話、パソコン、テレビのモニターを誰でも毎日数回は見ますし、街に出れば、広告を流し続ける巨大なモニターがビルの壁に設置され、電車の中にさえ、同様の小さなモニターが取り付けられています。われわれは、映像がすでに環境として存在する時代に生活しているのですが、しかし以前の時代の人々に比べ、より豊かで多様な映像を享受しているか、と問うてみた時、必ずしもそうとは言えないのではないでしょうか。むしろ、その圧倒的な量に反し、よりコントロールされ閉じられた、つまりは貧しい映像環境の中に閉じ込められてはいないでしょうか。
そこでこの講義ではまず、普段あまり目にする機会のない(つまりテレビの地上波や地方のシネコンやレンタル店では滅多にお目にかからない)現代映画の傑作の数々を見ていきます。これらに共通するのは、われわれの置かれた映像環境を「危機」として捉え、それを真摯に思考し、別の可能性を指し示す作品群だということです。
なお「現代映画」という場合の「現代」の定義については諸説ありますが、この講義ではとりあえず1960年前後を「現代」の出発点とします。具体的には、フランスで「ヌーヴェル・ヴァーグ(=新しい波)」と呼ばれる映画運動が始まった時期です。この運動自体は十年未満で終わってしまいますが、そこで開示された可能性は、今日にいたるまで世界の様々な場所で新しい映画を生み出す原動力となっています。そこで、この「現代映画論」では「新しい波」の歴史的な展開として、1960年前後から今日にいたる映画の水脈を辿り、それによってわれわれが現在置かれている映像環境を新たに思考するための視線を獲得することを目指します。
映画についての予備知識は必要としませんが、普段から各自、講義以外でも積極的に様々な時代や国の映画を見たり、それについての批評を読んだりすることが推奨されます。
2. 学習の到達目標:
1) ヌーヴェル・ヴァーグ以後の現代映画の流れを概観できること
2) 様々な映画運動の代表的な映画作家とその作品についての知識を習得すること
3) 映画の具体的な画面と音響を記述できること
4) 単なる感想文ではない、論理的な文章を書けるようになること
5) 映画を見て、映画史的な知見を踏まえつつ、その具体的な細部を手がかりに、説得力のある仕方で、自分なりに批評できること
3. 授業スケジュール:
1) ガイダンス
2) ヌーヴェル・ヴァーグ
3) ネオレアリズモ以後のイタリア映画
4) ソ連・東欧映画の新潮流
5) 1968年:政治の季節
6) 「異種の映画」
7) ニュー・ジャーマン・シネマ
8) ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ:内向の世代
9) アメリカン・インディーズとニュー・ハリウッド
10) 台湾ニューウェイヴと中国第五世代
11) イラン・ニューシネマ
12) ソ連崩壊後のロシア映画
13) ポルトガル映画の新潮流
14) スペイン映画の新潮流
15) つねに「新しい波」
4. 教科書・参考書:
参考書 映画史を学ぶクリティカル・ワーズ 村山匡一郎編 フィルムアート社 2,100円
参考書 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 山田宏一 平凡社 1680円