忠次旅日記

hj3s-kzu2004-02-08

a)『忠次旅日記』(伊藤大輔

a) 10年ほど前に「発見」されたこの映画によって、私たちの伊藤大輔、ひいては日本映画史に対する眼差しは変容をとげ、今もなお震撼されつづけている(一昨年、やはり「発見」された『斬人斬馬剣』も衝撃的な作品であった)。したがってある論者のような鈍感さはそれが俗耳に入りやすいだけに犯罪的である。
さて、残されたフィルムで忠次(大河内伝次郎)が活躍するのは主に前半で、後半は「中風」のために半身附随になってしまい捕縛されてしまった忠次をかつての子分衆が救出し、故郷の国定村に連れて帰る。そしてそこからは忠次の愛妾と子分たちの物語がメインになる(もちろん最後は役人たちとの攻防の末、彼らは降伏する)。そしてこのフィルムでもっとも魅力的なのはこの忠次が一旦、中盤で捕縛されるまでのエピソードである。
追っ手を逃れるために忠次は造酒屋の番頭に扮して身を隠す。その家の娘が彼に思いを寄せる。この屋外での撮影は本当に素晴らしい。空き地に、人の背丈よりも大きな酒造桶が所狭しと置かれていて、その円弧が画面を様々な切片に分割する。忠次や娘はその間から、あるいはそれを背景にして私たちの前に姿を見せる。また冒頭、無精髭を生やし、逃避行にやつれ果てた顔をしていた伝次郎は、このシーンで再登場するときには水も滴るいい男になっている。実際、彼を捉えたバストショットは光線の感じといい実に見事で、これこそ真のバストショットだといいたくなるくらい非の打ち所がない。画面を埋めつくした円弧に、さらに子供たちが「かごめかごめ」をして遊ぶ円運動が加わり画面を活気づける。
一方、造酒屋の若旦那には一緒になろうという約束を交わしている芸者がいるが、彼が忠次の名前を使って彼女からの手紙を受け取ったために、造酒屋の娘は誤解し嫉妬して、思いきって忠次に自分の思いのたけを告白する。この屋外のシーンからは酒造桶が一掃されていて、寒々とした空き地に建物の低い屋根と白壁が奥へとのびる視線を断ち切っている。忠次は地面に片膝をつき、おそらくは涙のためであろうか手で顔を覆う。一方、恋にやぶれた女は涙をこらえた毅然とした表情で遠くを見つめ、諦めの言葉を口にしてからその場を立ち去る。膝をついたままの忠次の周りをどこからともなく子供たちが現れて、彼を輪になって囲む。
さて若旦那と忠次は遠くまで集金に行くが、忠次が一足先に帰っても、若旦那は帰って来ない。実は彼はその金を使って芸者と駆け落ちしようと企んでいたのだ。ところがこの芸者が曲者で、音蔵一家というやくざと共謀して彼から金を強奪してしまう。異変に気づいた忠次は倒れていた若旦那をつれて、音蔵一家に乗り込む。音蔵は彼をだまし討ちしようとしたが(障子の後ろから間抜けな子分が竹槍で忠次を突き殺そうとするのだが、それを見破っている忠次は素知らぬ振りで何度も前屈みになってそれをよける。このギャグがおかしい)、それも果たせず忠次にしぶしぶ金を返す。
しかしこの一件がもとで再び忠次は逃亡の旅に出なくてはならなくなる。音蔵が忠次の正体を見破って役人に通報したからだ。造酒屋の主人に別れを告げているところを偶然、耳にしてしまった娘は忠次の刀を奪って、離れの蔵の中に飛び込んでしまう。後を追う主人と忠次。中に入った主人は悲痛な面持ちで出てくる。時すでに遅く、娘はその刀で自害してしまったのだ。地面に落ちた彼女の簪。その時、追っ手が忠次に迫ってくる。簪を手にし悲しみにくれている忠次は彼らに、頼むから俺に近寄らないでくれ、さもないと貴様たちを斬らずにはおくまいと告げる。しかし彼らは次々と忠次に襲いかかり、一人また一人、彼の刃の餌食になっていく。
中風で痛む身体を引きずりながら、山中を一人逃げていく忠次に捜索隊が迫る。彼は残してきた子供のことを思う。振り返ると草むらに隠れている追っ手の一人がその子供に見える。忠次の切り返しでおびえる子供が後ずさりするカットが挿入されるところは戦慄的で、まるでブニュエルのようだ。近付いてみると子供の幻覚は消えてしまう。追っ手は逃げ、忠次は狂気の闇に落ちていく。力つき地面に伏せる忠次を取り囲んで、どこからともなく現れた子供たちが「かごめかごめ」をする。もちろん彼の幻覚である。ついに彼は山中で追っ手に捕縛される。
先ほど述べたようにこれ以降の物語は彼の愛妾と子分たちの物語になっていき、最後まで忠次は中風のため寝たきりのままである。もちろん、後半にも素晴らしいシーン(例えば子分の中から裏切り者を愛妾が見つけだすシーンなど)はいくつもあるのだが、ここで一旦、筆を置くことにする。なお、伊藤大輔に関して一言、一昨年、脚本家・映画作家の井川耕一郎氏が作った『伊藤大輔 火の巻・水の巻』という素晴らしいドキュメンタリー映画がある。この映画で氏は伊藤大輔に対する全く新しい視点を提示しておられるので、もし機会があればぜひ見て頂きたい。

(追記)井川氏御自身から「天の巻・地の巻」ではなく、「火の巻・水の巻」だという御指摘がありましたので、記述を訂正しました。井川さん有り難うございます。