杏子と杏

a)『昭和おんな博徒』(加藤泰
b)『オーバードライヴ』(筒井武文
a) 冒頭、開いた戸口から降りしきる雨が奥に見える小屋で、江波杏子がドスでやくざの一人を刺し殺すローアングルの長い充実した固定画面に続いて、吐息の乱れた彼女の横からのバストショットがインサートされ、黒々とした蒸気機関車の車体が画面いっぱいに奥へと走り抜けるのを線路すれすれの高さから捉えたショットとなり、その車中の人となった彼女が懐から紙入れを取り出し、走行音の中、開くと松方弘樹の写真が出てきて、彼女がようやく彼の仇の一人を倒したことが告げられ、雪の降りしきる中での松方との出会いが回想されるまでを一気に魅せられてしまい、見るものはここまででこの作品が傑作であることを確信する。そしてその期待は最後まで裏切られることはなく、ひたすら美しいショットの連打に、出てくる面々の面構えの素晴らしさに、風・雨・雪・蒸気が織りなす情感に、ただただ美しいと絶句するしかない。タランティーノが『キル・ビル』で4時間かけてやったことを、加藤泰はたった90分で語りきり、しかも圧倒的な強度の作品に仕上げている。江波杏子と松方弘樹が初めて結ばれる瞬間の直前に、画面の中央に浮かび上がるオレンジの色が眩しい。
加藤泰 抒情と憤怒
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/katou/
b) 現役の日本の映画作家で筒井武文ほど映画史に通暁している人物はいないだろう。この映画は一面ではこれまでの映画史に現れた技法の総カタログの趣がある。しかし見ていてそれが厭味にならず、作家本人が心からそれを楽しんでいる様子がうかがえる。主人公の頭の上で諍いを演じる天使と悪魔(というか二人の悪魔)がアニメーションで表現されているのだが、その色調がテックス・エイヴリーあたりを思わせるのがいかにもこの作家らしい(そしてハートマークのキュートなこと)。そして『ゆめこの大冒険』がそうだったように、この映画作家は装置や小道具といったデコールに自らの作家性を刻印している。その点においては彼が敬愛しているはずのジャック・リヴェットに資質的に近いのかも知れない。しかしリヴェットと違い、彼の作品に即興の入り込む余地はない。一見、漫画的なこの物語を構築する彼の視線はあくまで厳密である(デクパージュ、そして最盛期の大映を思わせる室内場面の撮影・照明の見事さ)。主人公が修行をすることになる一軒家は近年の日本映画にあって稀にみるほど凝ったセットである。しかもそれがどん底まで落ちた主人公が這い上がって、高台にある神社の境内で最後に栄光を勝ち取るという物語的な構造を視覚的に正確に反映していることは言うまでもない。この映画作家の演出がまず、この特異な空間で登場人物が階段を昇降したり、居間に接した廊下を通り抜けるさまをいかにキャメラに収めるかに賭けられていることは確かだろう。さらに特筆すべきことに、この映画作家は現代の日本において、女優を魅力的に撮れる数少ない演出家の一人である。嘘だと思うならこの作品における杏さゆりを見よ。彼女を見れば、柏原収史でなくともミッキー・カーチスの下で厳しい特訓に耐えようと思うはずだ。あるいは決定的な瞬間に、単なる狂言廻しかと思われた女性ラッパー(!)が活躍の場を与えられているが、それがいかなるものかは各自ぜひこの作品を見て確かめてもらいたい。この瞬間、私は涙したほどだ。なお万田邦敏メフィストフェレスの役で出ている。
オーバードライヴ
http://www.overdrive-movie.com/