1st Cut ver.2005 Aプログラム

a)『ティアロユ墓地』(ウスマン・センベーヌ)★★★
b)『帰郷-小川紳介と過ごした日々』(大澤未来・岡本和樹)
『底無』(小嶋健作)
バオバブのけじめ』(松浦博直)
『帰郷-小川紳介と過ごした日々』は、それまで禁欲的に固定画面だったキャメラがある瞬間におずおずとパンを始めるところは悪くない。また人が話し始める前、話し終わった後の余白というか間をきちんと残しているのもよい。ただせっかく小川作品の素晴らしい抜粋を使いながら、そこに繊細さを欠いたやり方でテロップが入るのがもったいない。
『底無』と『バオバブのけじめ』については、id:inazuma2006:20060603に掲載されている大工原正樹さんのインタビューによってほぼ語り尽されているので、気になった点だけ。
『底無』の演出のポイントは縦構図と切り返しだと思う。縦構図については、画面の奥がしばしば光量不足で潰れていて、せっかくの奥行きがあまり活きていない。奥にもう一灯焚くだけでだいぶ改善されたはず。家庭訪問先の廊下では奥の採光窓からきちんと光が射していて、それが効果をあげていただけに残念。少年の母親が幽霊のような足取りで(って形容矛盾だが)廊下を歩くのもよい。ただ少年の部屋のドアの前で母親が盆を手に物言わずじっと立っているという感じは、空間処理の問題なのか、あまり効果をあげていない。ただしこの場面の撮照部はいい仕事をしている。この家庭訪問のシーンを境にして徐々に主人公がおかしくなっていくのだが、演出もこれを境に弱くなっていく。そこで先ほど言った切り返しが問題となるのだが、例えば生徒の両親がクレームをつけにくる職員室の場面でのイマジナリーラインの処理はやや粗雑ではないだろうか。別にイマジナリーラインの規則なんて破るためにあるようなものだが、とはいえずっと交わらなかった視線がある瞬間に交わったり、あるいはずっと一致していたそれがある決定的な瞬間に一致しなくなったりするというのも映画を見る側としてはそれなりにハッとさせられるのも事実であって、おそらくは場所の制約もあったのだろうが、その辺をもう少し工夫した方がよかったのではないだろうか。またここは始めて主人公がキレる重要な場面なのだが、ポケットのナイフにすぐに手をもっていくのではなく、もうワンクッション(例えば、何か別のものを探してポケットに手を入れるとナイフに当たるとか)あったほうがいいと思う。さらに言えば、主人公の異変を本人やその妻の台詞で示すのではなく、何らかの描写で見せてほしかった(例えば彼が授業で数式を書いていてその間違いに気づいたとき、ホワイトボードは見せる必要がなかったのだろうか)。机に本を叩き付け職場を飛び出すという演出も紋切り型な気がする。後半、隣人から子供の捜索を頼まれる場面で、主人公が地上を見下ろして「うまく隠れたなあ」とか言う台詞があるのだが、そこもどううまく隠れたのか見ていてわからない。一番問題なのは、続く公園の場面で、大工原さんも指摘しているように、高校生たちが黒バック(大きな樹)に黒の学ランで立っていて、しかも顔に当たる光が不十分なのでディテールがよくわからない(疑似夜景のためか?とはいえパンフを読むまでこれが夜の場面だとは思わなかった)。ここは側面から彼らの顔にもう少しライトを当てるべきだったと思う。ラスト、かなりの時間経過がジャンプされた後、眠る妻子の側で主人公がナイフを握っているというのは何か意味ありげで実は何も表現されていない。ここははっきり言ってよくない。また全体的に音楽というか効果音(ブーンという不安な感じの音)に頼りすぎていると思う。
バオバブのけじめ』については、オフビート・コメディを狙っているのかなとも見ていて思ったが、おそらくは脚本では表現されていたのかもしれない「その感じ」(読んでないので実際のところはわからないのだが)に演出力が追いついていないような気がした。