ヨシワラ

a)『ヨシワラ』(マックス・オフュルス)★★★★
b)『カリガリ博士』(ロベルト・ヴィーネ)★
c)『亜細亜の光』(フランツ・オステン/ヒマンス・ライ)★★
a)『ヨシワラ』上映前に「星のセレナード 田中路子独唱会」という1963年のNHK番組が併映され、当時54歳の田中路子(金色のメッシュのショートヘアにディートリッヒふうのメイク)が薄暗く不鮮明な画面の中で時折ウィーンの思い出など合間に挟みつつ、カメラ目線で歌う(ドレスの左肩のひもが落ちたのを直す仕草があったりして)というものを見せられ、子供の頃にこんな映像みせられたらトラウマになりそうとか思い、この間のドン・コサック合唱団を遥かに超える強烈なインパクトを受けたので『ヨシワラ』のトンデモ世界には特に違和感を覚えずすんなりと入っていけた。
で『ヨシワラ』なのだが、こちらは当時27歳の美しい田中路子が見られる(ロバート・ミッチャムのように半分眠ったような瞳が魅力的)。なだらかな勾配にそって膝をつき頭を下げた使用人たちに向って、宝刀を両手に掲げたチョンマゲ姿の西洋人が「主君が亡くなった」と厳かに告げる瞬間、見ている私たちはどこともしれぬ奇妙な時空間にいきなり投げ出されるわけだが、その彼が庭内の石橋を渡り、その刀をうら若きヒロインに差し出すと、頭巾で髪を被われた彼女を正面から捉えたバストショットに変わる。見事な導入部であり、田中路子の美しさが強く印象づけられる。次の場面では早川雪州の車夫が出発を告げ、彼女を乗せた人力車はあっというまに吉原の大門の中に吸い込まれていく。門はゆっくりと閉じられ、こうして彼女は「ゲイシャ」という囚われの身になるのだが、彼女が初めて芸者置屋に足を踏み入れるこの場面で、オフュルスの演出は格子戸の奥に彼女を配した画面を執拗に提示することで、「監禁」という主題を強調している。*1この置屋の障子はなぜか半透明の幕になっていて、室内の様子が外から手にとるように分かる。この装置に拒絶つつ誘惑するといった両義性(「ゲイシャ」としての手管に通じるような)を認めることもできよう。そして彼女の「旦那」となるロシア人士官と彼女との恋は、横恋慕する早川雪州を絡めながら、日清戦争前夜の国際関係を背景に、ある「密書」(マクガフィン!)をめぐるスパイ活劇へと展開していくのだが、その転調部でオフュルスが人力車を活用していることは興味深い。『忘れじの面影』の恋人たちのように彼らは乗り物の座席に身を落ち着けながら愛を確認するのだ。*2この「日本」を舞台とした映画の中で早川雪州とともに唯一の日本人キャストである「異邦人」田中路子はこのオフュルス的な装置の洗礼を受けて、真にオフュルス的なヒロインへと変貌を遂げる。その直後のロシア人士官の邸内(彼もまた上官の命令で外国人居留区に「監禁」されている)で洋装のドレスに着替えた華やいだ彼女とロシア人士官のふたりを楕円形の鏡に収めた画面を見ればそのことが分かるだろう。そして彼女は彼とともに至福の時を過ごし、朝を迎えるのだが(朝霧が立ちこめる竹林から彼女を腕に抱えた彼が登場するショットは美しい)、悲劇はすでに始まっているのだ。そして「密書」を巡って、彼への愛と国家(「忠君愛国」)との二者択一を迫られた彼女はためらうことなく愛を選ぶだろう(『アワーミュージック』(ゴダール)で引用されたジョルジュ・バタイユの言葉をここで思い出すのもいいかもしれない)。恋人の胸に顔を埋め、国家から彼女に許された最後の施しとして「私はあなたを愛しています」という言葉を芸もなく繰り返しながら、彼女は恋人との最後の別れに臨む。しかしオフュルス的登場人物がそうであるようにロシア人士官はこの時、一時的だと思っている別れが永遠のものであることを知らないのだ。彼を無事に見送った後に国家から彼女が賜るのは、『間諜X27』(スタンバーグ)の「売国奴」ディートリッヒのように銃殺という壁の前での即物的な死である。*3そして彼女を国家に引き渡してしまった早川雪州の苦い後悔の念だけが最後に残されるだろう。*4必見。

*1:これに対応するのが、船上でのロシア人士官のショットである。彼が上官から「密命」を受けるのは手前に縄梯子を配したデッキ上であり、そこでの彼の顔は梯子が形作る四角いフレームの中に捉えられている。また彼女に出会う前の彼が船室に「閉じこもり」読書をしている人物として提示されていることも見逃せない。

*2:この移動装置が愛の装置であるのは、それぞれの領域に「監禁」された二人が一時的にそのテリトリーの磁場から逃れる手段でもあるからだ。したがってその二つの領域を繋ぐ「橋」は、その下に刺客を潜ませ、その上を人力車が通過する瞬間にサスペンス(文字通り「宙づり」の状態)を形作ることになる。

*3:彼女の顔立ちとメイクがディートリッヒのそれを想起させることはすでに述べた。

*4:彼女が置屋に身売りした後、入り口の前で控えている早川雪州に向かって置屋の主人が駄賃を二階から放り投げる印象的なシーンがある。そこでの斜めの軸での視線の交錯が、最後の位置関係を逆転させた上での俯瞰ショットを準備してると言ったら言いすぎだろうか。