蓮實重彦とことん日本映画を語る の検索結果:

蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.18

本日のお題は「日本の幽霊—魑魅魍魎から遠く離れて—」。つまり前回(id:hj3s-kzu:20070331)の続きである。まず蓮實重彦氏による序言を以下に引用する。 Jホラーと呼ばれる一連の作品—その一部は、監督自身によってハリウッドでのリメイクが行われている—はいかなる点で新しいのか、あるいは新しくないのか。一部に、CGによる魑魅魍魎の跋扈する作品がないでもないが、優れた作品の多くは、存在の可視、不可視のはざまに漂う「気配」の表象をつきつめているという監督たちの姿勢において…

蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.17

本日のお題は「日本の幽霊―「見えるもの」と「見えないもの」―」。まず蓮實重彦氏による序言を以下に引用する。 存在―見えるもの―を被写体として、それを二次元空間に、動きとともに再現する技術として人類の資産となった映画は、その誕生いらい、非在―見えないもの、ありえないもの―をどう表象するかにも憑かれていたといってよい。無声映画時代から、さまざまなトリック撮影(フィルムの逆回転、etc.)が、想像、幻想、変容などを描くにふさわしい技法として、たんなる現実の再現とは異なる映画の魔術的…

蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.16

本日のお題は「女性と金銭—溝口健二の系譜をたどる—」。まず蓮實重彦氏による前書きを以下に引用する。 日本映画における「女性と金銭」の主題は、「女性」と「金銭」との交換に立ち会う一組の男女ではなく、女性たちが同性の相手を「ねえさん」、「おかあさん」と呼ばねばならぬ疑似家族的な伝統の支配によって規定されている。その背後には当然男性が存在しはするが、それはあくまで不可視の領域にとどまる。この性的「権力」の間接性こそが真の「溝口」的な主題であり、それが日本の「女性映画」一般の構造を規…

蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.15

本日のお題は「溝口健二を/と愛すること―そして船は行く―」。まず蓮實重彦氏による前書きを以下に引用する。 溝口健二(1898-1956)は、1952年のヴェネツィア国際映画祭に出品された『西鶴一代女』で国際的な舞台に登場し、ロッセリーニとジョン・フォードとともに国際賞を受賞、53年54年に『雨月物語』と『山椒大夫』で銀獅子賞に輝き、その国際的な地位を確立する。無声時代の1923年に監督となったこの「古典的」な映画作家にとって、その栄誉はあまりにも遅すぎる時期に訪れたといってよ…

蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.14

本日のお題は「映画において、男女はいかにして横たわるか―「やくざ映画」から「にっかつロマンポルノ」へ―」。まず蓮實重彦氏による前書きを以下に引用する。 制度的な意味で、また造形的にいっても、映画における男女は、同時に横たわることを執拗に避けてきた。その制約がいかにして緩んできたかを、「やくざ映画」(そこでは、横たわることは死を意味する)から「にっかつロマンポルノ」(そこで、衣服を脱ぎ捨てた男女が横たわることだけが求められていたかは、大いに疑わしい)への流れの中で探ってみたい。…

蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.13

今日のお題は「『祝祭のあとさき』―60年代から70年代への視覚―メロドラマ的なるものの滞留」。配付された資料に蓮實重彦氏の前書きがあるのでまずそれを引用してみよう。 1960年代は、日本映画にとって「変化」の時代であると同時に、「衰退」の時代でもある。1950年代の「黄金時代」を通して増加の一途をたどっていた観客動員数は、1958年に十億人を突破したのを境ににわかに減少傾向をたどり、1961年の新東宝の倒産をかわきりに、映画産業の衰退は顕著なものとなる。1971年の大映の倒産…

蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.12

(例によって以下のレジュメは私の脳内変換されたものなので、くれぐれも蓮實重彦氏の言葉として引用することのないようにお願いする。なお、前回(id:hj3s-kzu:20050416)と第8回(id:hj3s-kzu:20040430)の講義レジュメ、『成瀬巳喜男の世界へ』所収の蓮實氏の成瀬巳喜男論(特にpp.83-84)、および「ROUGE」掲載の侯孝賢論(http://www.rouge.com.au/6/cafe_lumiere.html)*1を参照のこと)。 本日のお題は…

蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.11

(以下のレジュメはあくまで私が記憶しているものを再構成したもので、実際に講義で語られた言葉の正確な反映ではない。よってこれを読まれる方はくれぐれも蓮實氏が語った言葉として引用したりしないように注意してもらいたい。私のバイアスがかなりかかっていることを予めお断りしておく。)本日のお題は「成瀬巳喜男は世界一だ」、副題として「静穏で凄惨な―女性たちの葛藤―」。まずタイトルだが、これは成瀬生誕百年を特集するテレビ番組の企画書が、ある日、蓮實氏のところに送られてきたのだが、その冒頭に「…

蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.10

ABCに「蓮實重彦とことん日本映画を語る」を聴きに行く。本日のお題は「日本映画「崩壊」と「変化」―1960年代を中心に―」。以下は私なりの要約。まずは珍品ビデオの紹介。ロシアで小津の回顧上映が行われた際に放送されたテレビ番組でなぜか蝶ネクタイをした蓮實氏が小津について語っている。これは1999年1月28日にモスクワ映画博物館のナウーム・クレイマンのオフィスで撮られたものなのだが、どのような経緯で自分の手元に渡ってきたのは不明だという。ロシア語のナレーションが被さっているので、…

蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.9

祝、新生ABCでの最初の講義。本日のお題は「切ること―時代劇における対決の構図」である。例によってメモを取っていないので、私の脳内でリミックスされたレジュメであることをお断りしておく。 先日行われた京都映画祭の時代劇特集に日参したという蓮實氏。そこで「剣劇スターのなかで誰が最強か?」ということが話題になったという。結論は大河内伝次郎でも阪東妻三郎でもなく、何と近衛十四郎(!)とのこと。『幕末剣史 長恨』(伊藤大輔)の上映されるところならどこへでも出かけていくという蓮實氏の今回…

蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.8

…7.html * 「蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.8」を聴きに行く。今回のお題は、《考古学的考察:「動くキャメラ」と「動く被写体」―日本映画の場合―》となっている。以下、記憶を頼りに再構成してみたい。例によってメモは取っていないので悪しからず。 蓮實氏は言う。リュミエール兄弟は教祖のような面があって、世界各地に使徒=キャメラマンを派遣する際にいくつかの主題を彼らに与えた。その一つが「列車の到着」で、これはいわば映画の考古学的主題とも呼べるもので、リュミエール兄弟自身…

蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.7

…ックセンター本店に「蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.7」を聞きに行く。 蓮實重彦の批評を時代遅れとみなして乗り越えた気になっている論者がたまにいるが、それは大きな勘違いである。彼の開いたパースペクティヴを超えるものは現在の日本において未だ現れていないし、そういった論者は大抵の場合、彼以前の水準にとどまっている。 さてこのトークショー、無料なのだが、内容は濃い。私も十数年前、東大での彼のゼミに出席していた人間だが、レベルとしては教養課程の大人数向けの講義と専門課程の少人…