北野武と諏訪敦彦について私が考える二、三の事柄

id:chaturangaさんから何故、2003年のワーストに北野武諏訪敦彦が入っているのかという質問があったので、以下はその回答です。

まず北野武の『座頭市』について。基本的にバイク事故前の彼の作品群はどれもとても素晴らしいと思います。逆に事故後の作品群については、それほど魅力を感じていません。しかし彼が映画作家として一般的な人気を勝ち得たのは何故か事故後、特に『HANA-BI』以後だと思いますが、長い間、私はこのことをとても不思議に思っていました。ところが『座頭市』のあるシーンを見て、突然、私が感じていた違和感の理由がわかったのです。それは、後半、座頭市たちが雨宿りをして暇を持て余しているシーンなのですが、北野武の映画を初期から見つづけてきた人でしたら、この場面が『ソナチネ』の同様の場面の反復であることがすぐに見て取れると思います。しかし、この一見良く似た二つのシーンの間にはある決定的な断絶があります。『ソナチネ』において「猶予」の時間(それはもちろん「死」を前にしたものなのですが)として描かれているそれは、説話的な経済の面から言えばほとんど過剰な細部で、目の前に広がる海を背景にそこにはゆったりとした豊かな時間が流れていて、通常の語りの規範から逸脱したそうした細部に私はある新しさのようなものを感じていました。またそこではたけしが自分の頭をピストルで打ち抜くといった幻想の形を取ったフラッシュ・フォワードが挿入されていました(前期の北野映画はこのフラッシュ・フォワードによって特徴づけられ、後期のフラッシュ・バックの多用と対比できると思います。そしてそれは彼の映画が通常の語りの規範に回帰していったことを意味します)。ついでにいうと『ソネチネ』のエレベーター内での銃撃戦もとても見事だと思うのですが、前期北野武の新しさというのは、彼が行っているこうした時間的処理の独創性(広い意味でモンタージュと呼んでいいと思いますが)に求められるのではないかと思います。一方、こうした観点から『座頭市』の雨宿りの場面を見てみましょう。ここで流れている時間の何とせせこましいことでしょう。この作品において彼はこのシーンをほとんど全てそこに居合わせる登場人物たちのフラッシュ・バックのための口実として使っています。しかもその時間的処理の仕方に何の独創性も感じられません。しかも見ていてびっくりしたのは、座頭市が回想するのが、天気雨の中、荒れ野で彼が大勢の敵を向こうにまわして大殺陣をするシーンなのですが、CMで頻繁に流れていたこの場面は、実際、とても素晴らしいもので、見る前はてっきりこれがクライマックスなのだろうかと勝手な期待さえしていました。ところがどうでしょう。この回想は単なる回想のための回想とでも言うべきもので、物語に何の介入もしてこないのです。これにはさすがに唖然としました。後期北野武の作品というのは、前期の作品の語りの時間的処理の独創性を自ら捨て(これには興行的成功を収められなかったことも関係しているでしょう)、より一般的な語りのスタイルに近付いていったものだと思うのですが、例えばこの『座頭市』の一場面をとっても分かるように、普通の映画の語りとしても失敗しています(単なる下手?)。また人物造型の面からいっても、この作品は「紋切り型」のオンパレードとでも言うべきもので、プログラム・ピクチャー全盛の時代ならいざしらず(とはいえ当時の娯楽映画はこうした面ではもっと知恵を絞っていたはず)、現在において映画を撮ることの自覚があまりにも欠けていて自堕落な気がしました。一番、醜悪だったのはラストのタップダンスのシーンで、ここにはミュージカルを見ることの官能性も喜びもひとかけらもありませんでした。似たような場面で見ていて連想したのがマキノ正博の『鴛鴦歌合戦』のラストなのですが、あそこには逆に確かに見ることの幸福感が漂っていて見る度いつも泣いてしまいます。ただ『座頭市』の浅野忠信夏川結衣は悪くないと思います。特に浅野忠信の立ち姿は本当に美しかったです。夏川結衣はあれだけ魅力的な女優なんだからもっと活用してもらいたかった。

次に諏訪敦彦の『H story』ですが、まず何故、彼はアラン・レネの『二十四時間の情事』を正面からリメイクしなかったのでしょうか。現代においてそれをそのままやることにおそらく彼は意味を見出せなかったのでしょう。そしてこの作品ではそのためのエクスキューズが延々と述べられていきます。一番、くだらないと思ったのは、ベアトリス・ダルと町田康が撮影現場を抜け出して街を彷徨っているところに、現場から携帯が掛かってくるところと、海辺での同様のシーンです。あえて彼はあそこでこの作品に傷をつけたかったのだという意見もあるようですが、それは穿った見方だと思います。ただこの作品の長尺のラッシュを見た筒井武文さんによれば、それは傑作だったらしい。もしそうだったとすれば、先ほど文句をつけたシーンを挿入してまである種のフィクション(メタ・フィクション?)にまとめようとするよりは、たとえ上映時間が十時間を超えるものになろうが、暴力的にそれを観客の前に投げ出してみせるか(そしてそこにはおそらく不毛な反復の後の強度が生まれたかもしれません)、堂々と迷うことなく「反時代的」に『二十四時間の情事』のストレートなリメイクをすれば良かったのに、というのが私の意見です。


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