ペドロ・コスタ特別講義その1

hj3s-kzu2004-03-12

a)『骨』(ペドロ・コスタ
a) 今日から三日間、映画美学校でペドロ・コスタによる特別講義が行われる。でその第一日目。テーマは「フィクションとドキュメンタリー」。なるべく彼が語ったことを正確に伝えるように努力はするが、如何せん通訳を通してのものだし、彼自身の論理にも飛躍があるので、報告者が理解しえた限りのバイアスがかかったものであることをあらかじめお断りしておく。
見ることは距離をもって愛すること。何かを撮るとはその不在を指し示すこと。この謎めいた(?)二つの命題を巡って講義は進められた。まず映画前史から映画の誕生のあたりの時代にまで遡ってみよう。世界で最初の写真の一つはパリ・コミューンの人々の射殺体を撮影したものだった(ナダールによって撮影されたこの写真はストローブ=ユイレの『アーノルト・シェーンベルクの《映画の一場面のための伴奏音楽》入門』のラスト近くで使われている)。では最初の映画とはどういうものだったか思い出してみよう。それは『工場の出口』(リュミエール兄弟)である。前者は世界を変革しようとして果たせなかった人々の死体を写したものだし、後者は一種の「牢獄」のような場所に閉じこめられた人々がそこから出てくる様子を撮影したものである。映画の起源にこうしたものが存在しているのはとても示唆的である。ところがリュミエール兄弟は最初に撮影した『工場の出口』に満足しなかった。それというのも工場(リュミエール家の所有だった)から出てくる労働者たちの表情が一様に暗かったからである。そこで彼らは被写体である労働者たちに動き、表情、タイミングなどの指示を与えて、別バージョンを撮影した。これが「演出」の起源である。しかしこの二度目のバージョンでは、最初のバージョンにあったものが消えてしまっている。そこで失われたものは「恐れ」ではないか。またこうした不快なものを見るのは苦痛かも知れない。しかし目を背けてはならないのだ。
次に少し時代を下って、シナリオの誕生の現場を見てみる。シナリオとは初め会計係のメモのようなものだった。つまりあるシーンを準備するのにどれ位の予算がかかるのかを見積もるために必要とされた。大抵それはコメディ映画の現場だった。そしてこれがフィクション映画の起源でもある。一方、同時期に、今ではアーカイヴを探しまわらないと見つからないかも知れないが、シナリオを必要としない映画づくりというものがあった。それはポルノ映画の現場である。そこでは物語の大枠(大概は愛の物語だが)が決められると後は愛の所作を撮影するだけのものだった。そしてある意味、これがドキュメンタリーの起源だと言える。前者は全てを見せることの領域に関わり、後者はよりプライヴェートな領域に関わる。そしてこの二つの流れを統合したのがD.W.グリフィスである。彼の偉大さは『イントレランス』や『國民の創生』に見て取れるように、愛と戦争を同一の平面で扱ったことにある。
愛と戦争のような反対物の一致(作品内における)はあらゆる偉大な映画作家の作品に見ることができる。例えば小津、溝口、グリフィス、チャップリン。あるインタビューで小津について尋ねられた溝口はこう答えている。「でも彼の作品は私の作品より謎めいているんですよ」。どこにでもあるような日常生活や冠婚葬祭を描いたと思われる小津の作品というのは、一見、神秘的な中世世界を描いたと思われがちな溝口の作品よりも謎めいているというこの逆説的真理。
ここで話は本日上映の『骨』の話題に移る。この作品のラストショットは登場人物の女性の一人が扉を閉めて黒画面になるというイメージなのだが、撮影が終わってしばらくしてから、コスタ自身、このイメージが『赤線地帯』(溝口健二)のイメージと通じるものがあることに気づいたという。スクリーンとは私たちに向けられた扉である。そこには「開かれた扉」と「閉じられた扉」の二種類がある。「開かれた扉」というのはハリウッドの大作映画のように誰に対しても開け放たれており、そこで人は画面の中で涙を流している人を見て自分も一緒になって泣くのだ。それは自己の姿をスクリーンに投影しているに過ぎない。かように「映画を見る」ことは困難であり、その困難さは「映画を撮ること」に通じている(この投射行為の馬鹿馬鹿しさは音楽を例にとってみれば分かる。バッハの曲を聴く時、私たちはそこに自分たちの姿を投射することはない。あのように複雑な音楽の前では、私たちは自分を無にして耳を傾けるしかないのだ)。映画を見る時、そこには二方向の異なる運動がある。それは一方がスクリーンから私たちへの運動であるならば、他方は私たちからスクリーンに持ち込まれるものの運動である。それぞれ一方から他方への投射がある。「閉ざされた扉」の映画はこの困難さと関わっている。この種の映画は観客に感情的な同一化を求めない。それはあくまでも「見る」ことを私たちに要求する。そしてその扉が閉ざされているのは、そこから先には耐え難いものが待ち受けているからだし、またその扉を私たち自身が自力で開けなくてはならないのかも知れない。
ヴァンダの部屋』を上映した国々でよく聞かれた質問として「これはフィクションなのか、ドキュメンタリーなのか」というのがある。質問したジャーナリストたちのこの質問の意味するところは「これは本当の話なのか、それとも作り話なのか」ということだろう。ところが彼らは肝心な事を忘れている。映画を撮ることは必然的にその撮る行為についてのドキュメンタリーでもあるということだ。例えば山形国際ドキュメンタリー映画祭のようなところに行くと、様々な国の映画がそこに出品されている。それはチリ映画だったり、アルゼンチン映画だったりするわけだが、それを実際に見て私たちが持っている「チリ」なり「アルゼンチン」なりのイメージをそこに再確認するという行為は「見る」という行為から懸け離れた不毛なものであるが、逆にそうしたイメージを超えるものがない映画というのにもげんなりさせられる。なぜならそこには「撮る」ことに関する倫理とも言うべきものが欠けているからだ。撮っている者の姿勢というものは撮られたものに必ず反映する。まず「見る」ことから始めようではないか。
なお今回、ペドロ・コスタが参考上映しようとしたのは、エッサネイ社時代のチャップリンの短編『THE BOXER』(IMDbで調べても見つからず『拳闘 THE KNOCKOUT』のことか?)と『失恋 THE TRAMP』だったのだが、あいにく調達できなかったそうだ。チャップリンを選んだ理由の一つとして、彼は、貧困を描いて大金持ちになったように、両極端なものを合わせ持った映画史上稀に見る逆説的かつ分裂症的な人物だからだ(ランボーの言葉を借りれば「私は一個の他者である」)。これらの作品で描かれている自動車や木々などを超えるイメージがもし『ラストサムライ』のような映画にあったとしたなら申し出て欲しい、実際にそうなら君たちに一万円を進呈する、と彼は言った。