a)『現代の映画シリーズ:映画作家ストローブ=ユイレ』(ペドロ・コスタ)◎
b)『映画作家ストローブ=ユイレあなたの微笑みはどこに隠れたの?』(ペドロ・コスタ)◎
寝坊してしまい30分遅刻。ゆえに『研ぎ師』と『浮浪者』は見逃す。まあこれはMくんに借りた仏盤スト=ユイ箱に入っているので良しとしよう。でテレビ版と劇場版の違いだが(とりあえず見逃した前半部は措くとして)、先日のトークショーで七里圭さんが言っていたようにテレビ版の方の色味がアンバーがかっていて暗部に深みがない(まあこれがビデオで撮った時の実際の色味なのだろう)。またテレシネしてない分こちらの方が映像がシャープ。で個人的に見ていてアッと思ったのは、例のローマのゴミ置き場からシャツを拾った逸話をストローブが語る際、劇場版ではストローブは画面外にいて編集台の『シチリア!』の映像断片、つまりそのシャツ(実はそれはストローブが拾ったものではなく、ユイレがスーパーで万引きしたというさらに驚くべき真相が語られるわけだが)を着ている「研ぎ師」と主人公の映像が画面に提示されていたはずが、テレビ版ではそこの語りの時の画面は斜めを向くストローブのほぼ正面からの逆光のバストショットなのだった!劇場版ではここまで人物に寄った(しかもほぼ正面の)サイズの画は周到に排除されていたが、それはこのサイズでこのような語りをすることがある種の意味に回収されることをコスタが嫌ったからではなかろうか。またテレビ版では『労働者たち、農民たち』の舞台であった森(たぶん同じ場所、つまり『六つのバガデル』に出てくるストローブ=ユイレの住居のすぐ裏手にある森だと思う)がラスト近くのシークエンスの前にインサートされているが、確かにこれも見ていて唐突で不要な感じを受けるし、実際、劇場版にはその手の余計なインサートは排除されており、それゆえに時間感覚を狂わせるような密室性(コスタ言うところの「宇宙船」のような)がさらに強調されている(この作品のアウトテイクから構成された『六つのバガデル』のラストの素晴らしい屋外場面が使われなかったのもその開放感ゆえだろう)。
でコスタの講演内容なのだが会場の暑さと疲労のためあまり覚えていない(どーもすみません)。
(追記)思い出したのでコスタの講演の内容を書きとめておく。この「現代の映画」シリーズは映画作家が敬愛する映画作家を撮るという企画で、ストローブ=ユイレ編はもともとゴダールが担当する予定だったのが実現せずそのままになっていて、ある時ゴダールが番組のプロデューサーに電話をかけてきて言うには、自分はすでにある映画作家のドキュメンタリーを撮ってしまった、それは自分についてのものだ、ということで(つまり『JLG/自画像』)、普段からインタビューなどでストローブ=ユイレについて言及いていたコスタに話が振られたそうだ。で、その企画の説明をストローブにするために夏の暑い日にコスタと助手はバスと電車を何本も乗り継いでローマ郊外に降りたったのだが、ストローブの住まいを探しているとそこには驚くべき光景が展開されていた。近くの建物が火事になっていて真っ赤な炎が立ち上っていたのだ。二人が途方に暮れて立ち尽くしていると、通りの向こうから炎を背にしてストローブが現れた。この黙示録的な情景は「怒れる人ストローブ」というイメージにあまりにも合致していたので強く印象に残ったという。近くのビストロでコスタとストローブはウィスキーを飲みながら話をしたという。コスタは緊張のあまりひたすら飲み続け、逆にストローブの方はまるで西部劇のカウボーイのようにプロのウイスキー飲みといった風情だったという。話の最後にストローブがいうには、この企画は実現不可能である、もし撮れたとしてもそのことで君は後戻りできない地点にまで行ってしまうだろう、またわれわれの映画作りを観察してもそこに「奇跡」のようなものを期待しても無駄だ、そこにあるのはただ骨の折れる労働だけである、と。結局、手ぶらでパリに戻ったコスタだが、ストローブの親友で、週三回映画館に通うシネフィルであるリヴェットがコスタの映画を気に入っていて、彼の推薦でこの企画は実現できたそうだ。