Happy New Year !

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
早速2020年のベストテンを。今回もあえてスクリーンで見たものに限定。コロナ禍のために劇場に行く回数もめっきり減ったため、当初はそれも難しいかと思われたが、実際に選んでみると公開作だけでもかなりの良作があったので、例年通り、配信で見た未公開作は含めないことにする。

さて新作映画ベスト。先達に敬意を表し、生年順。

『リチャード・ジュエル』(クリント・イーストウッド
『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』(ウディ・アレン
シチリアーノ 裏切りの美学』(マルコ・ベロッキオ
『ドミノ 復讐の咆哮』(ブライアン・デ・パルマ
『デッド・ドント・ダイ』(ジム・ジャームッシュ
『ヴィタリナ』(ペドロ・コスタ
『天国にちがいない』(エリア・スレイマン
『逃げた女』(ホン・サンス
『フォードvsフェラーリ』(ジェームズ・マンゴールド
『空に住む』(青山真治
次点は『オン・ザ・ロック』(ソフィア・コッポラ)。

ベスト短編は『ロボットに対抗するフランス』(ジャン=マリー・ストローブ)。

次に旧作映画ベスト。製作年度順。

『赤い小悪魔』(イワン・ペレスチアーニ、1923)
支那の夜』(伏水修、1940)
『風ふたヽび』(豊田四郎、1952)
『言い知れぬ恐怖の町』(ジャン=ピエール・モッキー、1964)
『沈黙のこだま』(ピーター・エマニュエル・ゴールドマン、1964)
『虹をわたって』(前田陽一、1972)
『繻子の靴』(マノエル・ド・オリヴェイラ、1985)
『夢見通りの人々』(森崎東、1989)
『マダム・ハイド』(セルジュ・ボゾン、2017)
『完璧さの帝国』(ジュリアン・ファロー、2018)

※最後の二本は新作ベストに入りきらなかったので、旧作ベストに入れるという裏技を使った。

コントレ賞こと新人監督賞は『風が吹けば』のノラ・マルティロシャン。

なおネット配信で見たものでは『Uppercase Print』(ラドゥ・ジュデ)、『The Wandering Soap Opera』(ラウル・ルイス/ヴァレリア・サルミエント)、それに四本ほどまとめて見たリタ・アゼヴェード・ゴメスがどれも素晴らしかった(一本選ぶなら『A Woman's Revenge』)。

よいお年を!

晦日なので一年を振り返る。今年は御多分に洩れずコロナ禍のためにリモートワークを強いられたが、これがやってみると意外に自分のライフスタイルには適していたのだった。とはいえ、前期は慣れない遠隔授業のための教材づくりに忙殺され(給料三倍もらわないと割が合わないほど)、しかも六月に入ると、例年同様、映画祭の審査の仕事を同時並行してやっていたので死ぬかと思った。そのため、講義動画のおすそ分けも第五回までで中断してしまった(後期の分まで入れると全二十四回分ある)。とはいえ、後期になると慣れてきたせいもあり(手を抜く勘所がわかるようになったと言うべきか)、再開された国アカの特集に日参しつつ、業務をこなすなんて芸当もできるように。来年もリモートワークになりそうなので、今年の「貯金」が活きそうで嬉しい。

映画批評家としての仕事としては、八月に神戸映画資料館堀禎一特集のために赤坂さんとトークし(採録は、https://kobe-eiga.net/webspecial/report/2020/08/685/)、十月には「ヴィタリナ」の関西公開に合わせてラジオ関西「シネマキネマ」でペドロ・コスタについて喋り倒した。ともに吉野ディレクターにお世話になり、今年で番組を離れられる同氏との六年にわたる「共闘」への感謝の意をここに記したい。

コロナ禍の思わぬ副産物としては、各地でオンライン映画祭が催されるようになり、長年行きたいと思い続けていたポルデノーネ無声映画祭にオンラインではあったが「参加」できたこと(きちんとヴァーチャルの座席まで用意されてあった遊び心が憎い)。一見地味なラインナップだったが良作揃いだった。いつか実際に行けるといいな。

うちの三歳児は国アカの「V4中央ヨーロッパ子ども映画祭」でついに映画館デビューした(同伴したが、字がまだ読めない子供が多い中、字幕付きの作品を見せるのは大いに疑問。またラインナップも正直、疑問符)。

(追伸)

この八年近くニュース映像で目にし耳にする度に不快な思いをしてきたあの醜い顔と声から今年はついに解放されて本当に良かった。あいつのためにどれだけ無駄なエネルギーを消費してしまったことか。来年はあのバカが二度と復活することのないような世の中になってほしい。

アルベール・セラの演出のもとに職業俳優及び非職業俳優によって演じられたマルキ・ド・サドの思想と文学

リベルテ』(アルベール・セラ)

これまで何人もの映画作家がサド侯爵の文学(パゾリーニ、神代)あるいはその生涯(カウフマン、ジャコー)の映像化に挑戦し、その都度、玉砕してきた歴史を見る限り、映画にとってサドは鬼門に思える。原作者としてクレジットはないものの、サドから着想を得たことが明らかな本作において、ではセラはこれらをどう料理したのか。そもそも先人たちが失敗したのは、サドが描いた倒錯行為のみをスペクタルとして提示しようとしたところに由来する。サドを一編でも読んでみればわかるが、そこでは倒錯行為の前後に長々とした「哲学的な考察」(能書きともいう)があり、そうした考察と行為の描写がペアで延々と退屈に反復される(その点、まず抄訳でサドを日本に紹介した澁澤龍彦は賢明だったかも)。ところがサドの想像力によって創造された倒錯行為の数々は、文字として記された構想の無限に広がる壮大さに反して、それを現実世界で再現しようとするならば、忠実に実行することはほぼ不可能で、仮に実現できたとしても実に骨の折れる労働を必要とし、その割にはしょぼいものにしかならないのだ。なぜなら人間の身体は有限だから。映画史におけるセラの先人たちが理解していなかったのも、まさにこの点である。フーコーの『監獄の誕生』の最初の数ページでは、ルイ十五世暗殺未遂犯ダミアンの処刑(四つ裂きの刑)の実行がいかに困難なものだったかが描かれているが、本作の冒頭で登場人物の口からほぼそのままの形で引用されるこのエピソードが意味するところも、やはり構想とその実現とのギャップである。想像力はその実行にあたって、物質という現実の壁に常に突き当たる(そしてこれはまさに映画製作という行為自体にも当てはまる)。それを端的に表しているのが、全裸にされ、手を縛られて樹に吊るされた女が、金盥いっぱいに貯められたミルクのような精液を大量に頭からぶっかけられた後「もっと!」と叫ぶ場面だ。まさかそういう反応がくると思わなかった男たちの困惑した顔には失笑を禁じ得ない。「この金盥をいっぱいにするのに一体おれたちがどれだけ苦労したと思っているのだ!」とその表情は言いたげだ(セラの処女作でサンチョ・パンサを演じた太っちょ君が、ここでもリベルタンの貴族の従者を演じて、いい味出している)。あるいは女の尻を鞭打つも、逆に「そんな柔な腕じゃなくて、もっと強く!」(正確な台詞は忘れた)と言われ、へろへろになる男。自らのファンタジーの中で男たちは独り善がりな全能感で女たちを支配しているつもりでいるが、その実行にあたっては「犠牲者」の役であったはずの女たちの際限なく更新されていく欲望(「もっと!」)に支配されてしまうというこの逆説(ここに男女のオーガズムの差異をめぐる通説を重ね合わせることもできよう)。こうした男たちの惨めさ、卑小さ、恥ずかしさは、この鞭打ち場面のすぐ後に続く、老いた貴族が貧弱な尻を突き出して自ら鞭打たれる場面によって強調されている。つまり今作において、セラはサド作品をフェミニズム的に脱構築しているとも言えるかも知れない。そしてある女がリベルタンの一人に跨って、陰部を惜しげもなく曝け出して放尿するショット(斜め前からのアングルのやや引いた構図で、ここまではっきり実際の液体が噴出するショットを、ハードコアポルノではない一般映画で、ボカシなしで見たのは個人的には初めてかも)は女たちの勝利を高らかに宣言しているように見える。なおこの映画は、夕暮れから夜明けまでの夜の闇の中で展開するが、薄暗がりの中、いく人かの男と女、行為者と観察者(要するに出歯亀)が順列組み合わせ的に役割を交代しながら、森の中をうごめく様を(そして多くの場合、男たちは自らの股間を弄りつつ・笑)、実に見事な撮影と照明で捉えており、そのこともまた、明らかな光の下に繰り広げられるスペクタルとして倒錯行為を提示しがちだった先人たちの轍を踏むことから、本作を遠ざけることに貢献している。

Happy New Year !

 

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

早速2019年のベストテンを。去年のようにネット配信で見たものも含めることにしようかと初めは思ったが、劇場で見たものだけでも結構な候補作が挙がってきたので、今年は再びスクリーンで見たものに限定。

なおFilmStruck終了の後を受けて開始されたCriterion Channelだが、見たいものは大体DVDで既に持っているものが多く、今のところあまりメリットを感じていない(笑)。もっともHD画質である点と本棚から探し出す手間が省ける点はよい。ここで年末に見たアイダ・ルピノ監督作品特集は素晴らしかった。

 

今年も多くの映画人がこの世を去ったが、中でも今まで日本できちんと紹介されなかったジャン=ピエール・モッキーの追悼特集が組まれることを強く望む。ちなみに十数年前とある打上げの席で真正面にジャン・ドゥーシェがいて、筒井さんに弟子入りしろとけしかけられたことがある(笑)。

 

 さて新作映画ベスト。先達に敬意を表し、生年順。

 

『運び屋』(クリント・イーストウッド

『多十郎殉愛記』(中島貞夫

『ダンボ』(ティム・バートン

『ヴィタリナ』(ペドロ・コスタ

『未来を乗り換えた男』(クリスティアン・ペッツォルト

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ

『アド・アストラ』(ジェームズ・グレイ

『誰もがそれを知っている』(アスガー・ファルハディ)

『7月の物語』(ギヨーム・ブラック)

『さらば愛しきアウトロー』(デヴィッド・ロウリー)

次点『嵐電』(鈴木卓爾)、『8月のエバ』(ホナス・トルエバ)、『熱帯雨』(アンソニー・チェン)

 

 

 次に旧作映画ベスト。製作年度順。

 

『ウィリーが凱旋するとき』(ジョン・フォード、1950)

『ショウマン』(アルバート&デヴィッド・メイズルス、1963)

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(セルジオ・レオーネ、1968)

『ラストムービー』(デニス・ホッパー、1971)

ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』(ジョージ・A・ロメロ、1972)

『ありふれた出来事』(ソフラブ・シャヒド・サレス、1973)

『大輪廻』(キン・フー/リー・シン/パイ・ジンルイ、1983)

『救いの接吻』(フィリップ・ガレル、1989)

『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(ホウ・シャオシェン、1998)

『こおろぎ』(青山真治、2006)

 

ベスト短編は『マーロン・ブランドに会う』(アルバート&デヴィッド・メイズルス、1966)

 

コントレ賞こと新人監督賞は、『Vif-argent』のステファン・バチュ(Stéphane Batut)。

 

なおネット配信で見たものでは、新作は『I Do Not Care If We Go Down in History as Barbarians』(ラドゥ・ジュード)、旧作は『Anima nera』(ロベルト・ロッセリーニ)、『The Burglar』(ポール・ウェンドコス)、『Our Betters』(ジョージ・キューカー)、『The Trouble with Angels(青春がいっぱい)』(アイダ・ルピノ)、『Gambling Lady』(アーチー・メイヨ)が素晴らしかった。

よいお年を!

晦日なので一年を振り返る。と言っても特筆すべきことは何もなく、変化といえば、去年よりは仕事が楽になり時間の余裕ができたので、映画を見る本数が増えたことくらいか。子供もすくすく成長し、こちらもほぼ毎日、iPhoneで親バカ動画ばかり撮っている(流石にネットにアップしたりはしないが・笑)。ただ暇さえあればキッズ向けのYouTubeばかり見ているので、彼の将来がやや心配。映画関係でいつもの仕事の他にやったことと言えば、若い頃に影響を受けた作品群をプロデュースされた方の初監督作の英語字幕監修をやったこと(というか只今まさに手直し中)と恩師のライフワークのごく細部のお手伝いができたことくらいか。来月はついに五十の大台に乗ってしまうので、十年以内には何か形になることができたらいいな。

現代映画論

概要は例年通りです。

http://hj3s-kzu.hatenablog.com/entry/20120926

教室は2E-101です。

授業スケジュールを若干変えたので以下に挙げておきます。
1. ガイダンス/アンドレ・バザンと作家政策
2. ヌーヴェル・ヴァーグ
3. ネオレアリズモ以後のイタリア映画
4. ソ連・東欧映画の新潮流
5. 政治的モダニズム第三世界の映画
6. ダイレクト・シネマ/シネマ・ヴェリテ
7. ニュー・ジャーマン・シネマ
8. ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグ
9. アメリカン・インディーズとニュー・ハリウッド
10. 台湾ニューウェイヴと中国第五世代
11. イラン・ニューシネマ
12. ソ連崩壊後のロシア映画
13. ポルトガル映画の新潮流
14. スペイン映画の新潮流