勇者に休息なし/ティレジア

a)『勇者に休息なし』(アラン・ギロディー)
b)『ティレジア』(ベルトラン・ボネロ)

a)冒頭、主人公の一人が「ファフタオ・ラポ」という造語を語る。それは最後から二番目の眠りでその後に死が訪れるのだという。以前、見た時にはこの言葉は単なるマクガフィンのようなものに過ぎないのだと思っていたのだが、今回、見直してみて、改めてそれが作品の構造全体を規定しているものだと気づいた。またカイエ誌のステファン・ドロームが上映後に講演をしたのだが、それによって、後半、唐突に出てくるように思われた「赤い玉」という主題が、実は中盤で主人公とその愛人である初老の男(ホモセクシャル)が居間で見ているテレビ(後側から撮られているので画面に何が映っているのか分からない)から聞こえてくるセリフの中で触れられていることなどを知った(ちゃんと字幕に翻訳してもらいたい)。さすがにゴダールが目を付けただけのことはあるキラ星のような才能。なおドローム氏によれば、ギロディーと『運命のつくりかた』のラリユー兄弟とは仲良しだそうだ。

b)ボネロの最新作。留保はあるが傑作と呼んで差し支えないのではないか。前二作と同様、やはり重要な物語局面に動物(ハリネズミ)が出てくる。また前半でティレジアが監禁される家の塀には「ZOO」という落書きがこれ見よがしに書かれている。ただこの作品ではティレジアが失明する直前にハリネズミはローラン・リュカによって惨殺されてしまい、後半は草原の向こうに馬たちが草を食む姿が見えるだけで、動物たちは積極的に物語に介入することを止める。彼らはどこに行ったのか。植物(バラ)に姿を変えたのである。この作品では男から女、娼婦から予言者、変質者から神父への生成変化があったように動物から植物への移行がある。この仮定はハリネズミとバラがともにローラン・リュカの愛情の対象であり、ともに外敵から刺で身を守っているという形態上の類似によって証明される。上映後のティーチ・インで監督本人にそのことを聞いてみたら、全くその通りだと言っていた。彼は暇があると一日中、「ナショナル・ジオグラフィック」のような番組を見ているそうだ。また「勃起したペニス」、「複数の男が一人の女と同時に性的行為を結ぼうとする」といった共通の主題も三作品を通じて認められる。特に後者はこの作品においては、後半に登場する『少女ムシェット』(ロベール・ブレッソン)のヒロインをもう少し柔らかくしたような顔の少女が同世代の少年たちに囲まれてスカートの上から女性器のあたりをまさぐられるといったほんの短いシーンに表れるのだが、それがほとんど物語の展開には関係のない描写なので、あるいは彼のオブセッションなのかもしれない。ただ付け加えておくと、このシーンはとても美しい。