マリーとジュリアンの物語

hj3s-kzu2004-01-17

a)『マリーとジュリアンの物語』(ジャック・リヴェット

a) ついにリヴェットも溝口、ヒッチコック、ドライヤーの域にまで到達したのだろうか。この作品は現代の『雨月物語』(溝口健二)であり、『めまい』(ヒッチコック)であり、『奇跡』(ドライヤー)である。冒頭、ジュリアン(イエジー・ラジヴィオヴィッチ)は、「一年と少し」の間、会っていなかったマリー(エマニュエル・ベアール)と公園で再会するが、彼女にナイフで刺されそうになる、という夢を見て、カフェから出た直後にマリーに再会する。しかし、彼はある女性(実は彼がゆすりをしようとしている相手「マダムX」)との待ち合わせにすでに遅刻しており、マリーもまた自分が乗ろうとしているバスが目の前に到着しているので、二人はゆっくりと再会を祝する暇もなく、慌ただしく明日の「三時に」カフェで落ち合うことを約束する。ここですでに「時間」をめぐる主題が物語に導入されていることが分かる。登場人物たちは時間を守らない。彼らはいつも約束の時刻に早すぎるか遅すぎるのだ。例えば「マダムX」は予定時刻より早く、しかも約束の場所ではなくジュリアンの自宅の庭までわざわざやって来たために、彼を怒らせ、約束の十倍もの金を要求される。ジュリアンはどうやらアンティークの柱時計を修理する職人らしく、彼の自宅には、所せましと時計が置かれたり掛けられたりしていて、ここでもまたあからさまに「時間」の主題が喚起されている。翌日、カフェでジュリアンはマリーに会えなかったのだが、自宅に帰るとマリーがそこを訪ねて来て、夜、彼女のホテルの部屋で会うことに決める。この訪問に彼はきっちりと時間を守るのだが、このことは物語的に重要な変化をもたらす。二人は性的関係を結ぶのである。ここでリヴェットは二人のセックス・シーンを彼の作品にあっては例外的に直接的に描写している。そして、この作品では後、三度、濃密なセックスが全て体位を変えて描かれることになるが、いずれの場面も説話的に転換点にあたるところに位置している。彼女は彼の家で生活を始めることになる。この家で彼が飼っている猫が実に絶妙な「演技」をするのだが、それは作品の最初の方で恐怖に駆られたような目(それはロングで撮られていても、それと分かるような瞳孔の開き様である)で天井の方を見つめる場面である。ただしこの時には天井は示されない。天井が画面に現れるのは彼の家の二階に住むことになったベアールが謎めいた呪文を唱えて部屋の中央に置かれた踏み台(『めまい』でジェームス・スチュワートが高所恐怖症を克服するために使うようなあれだ)の上に身をもたせかける場面で、彼女が猫と同じような仕種で上を向く時である。そこに現れた天井はどこか殺伐としており、あたりには不穏な空気が漂っている。天井と踏み台。そう、欠けているものといえば、縄ぐらいだ。後はそれを手に入れて輪にして吊るせばよい。首を掛けて、台から宙に舞えば、身体は重力の法則に従って落ちていく。そのようにして実はマリーが作品が開始される時点の遥か以前に命を絶っていたこと、そして彼が生活を共にしていたのはさまよえる死者だったことが、三度目の性愛場面の後に失踪した彼女を彼が探していく過程で明らかになる。思えば、作品の冒頭の夢の中に出てくるベアールはどこかよそよそしく精気を欠いていてあやつり人形のようであった。ジュリアンがマリーの自殺した部屋を開く時、私たちは彼と同様の衝撃を受ける。彼の家の二階の彼女の部屋と全く同じ光景がそこに出現するのだ(それはまるで『扉の蔭の秘密』(ラング)に出てくるジョーン・ベネットの瓜二つの部屋のように)。ただし壁の色が青ではなく赤ではあるけれど(青と赤の交代の主題も頻出する。例えばベアールが着るローブの色がそうである)。マリーは彼の家に帰ってくるのだが、それは「ある決心をして」である。つまり二階の部屋でもう一度死ぬということだ。夢の中で彼は彼女をその試みから救うが、逆に彼は自ら亡者となるために自分が首を吊ろうとして彼女に制止されるはめになる。彼は次にナイフで手首を切ろうとするのだが、再び彼女に制止され、その時、彼は自分の手のひらと彼女の手首を傷つけてしまう。彼の手から流れ落ちる鮮血に対して彼女の手首からは一滴の血も流れない。なぜなら彼女は死者だから(ここで私たちは作品の中盤にあった奇妙な場面、すなわちベアールが腕を家具にぶつけて傷つけるのだが、ロングで捉えられた彼女の腕は絆創膏が張られるにも拘わらず傷付いているようには見えないあの場面の意味を理解する)。彼女は彼との決別を永遠のものにしようとするために自らの顔を交差した手で覆う。するとどうだろう。ベアールの顔のアップから切り返されたラジヴィオヴィッチのショットからは彼女の存在の痕跡が消えている。彼は傷付いた手を水で洗い、その場の椅子にへたり込む。すると奇妙なことが起こる。全く同一のベアールの顔のアップが画面に再び現れ(偽のつなぎ間違い)、次のショットでのラジヴィオヴィッチは再び同じ動作を反復するのだが、今度は別のアングルから撮られていて、その画面にはベアールも入っている。しかし彼はベアールの存在を気にも止めていない様子である。そうリヴェットは、大掛かりな特殊効果など使わずとも、たった一つのちょっとした仕草で、登場人物を生から死へと越境させてしまう。そして先ほどのラジヴィオヴィッチのショットは死者=ベアールの見た目のショットであったのだ。その後、残りの金を支払いに「マダムX」が彼のもとにやってくる。彼女はマリーのことを尋ねるのだが、彼は完全に彼女についての記憶を失っている。そして二人の傍らには亡霊となったマリーが座っている。「マダムX」がジュリアンにゆすられていたのは、彼が彼女の商売の秘密についての書類、彼女の妹の持ち物の人形と写真、妹が彼女に宛てた最後の手紙(その妹もやはり生ける死者であり、彼女を現世に留めているのはこれらの品々である)を握っていたからなのだが、はじめの書類は作品の冒頭の最初の出会いで炎につつまれ、最後の手紙もまたここで炎に焼かれる。物語はこの二つの炎によって縁取られる。ところが、彼女は手紙の封筒だけは焼かずにその場を立ち去る。その後、驚くべきことが起こる。キャメラは室内に戻り、愛する男を見守る(死者だけが見守ることができる)ベアールの美しい顔をクローズアップで捉え、その瞳からひとすじの涙が溢れては、手首の傷に落ちていく様を映し出す。その涙が彼女の血を通わせる。たった一つの身振りで生から死への移行を果したように、今度は一滴の涙で死から生への帰還をリヴェットは表現してしまうのだ。ベアールの手首から滴り落ちる真っ赤な血を目撃する私たちはそこで奇跡に立ち会っていることを深い感動とともに実感する。突如、目の前に現れた、見知らぬ美女にジュリアンは驚く。あなたがかつて愛した女性よ、という彼女に対して、彼は、いや僕のタイプじゃない、と返事をする。そんな彼に向かって、そのうち分かるに決まってるわ、と自信たっぷりの微笑で彼女は答える。新しい物語が始まるのだ。だがそれは別の物語である。

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