映画美学校映画祭速報その3

フィクション部門の最終日にあたる本日は奇しくも「9.11」である。こんなところで自主映画を9時間も見ていていいのだろうか、と一瞬思ったが、いやこれでいいのだ、という結論に到った。マイケル・ムーアなど見ている暇はない。
『泥棒猫』★★★★
『煙の中の飛行機』★
ザッハトルテ』★
『骨』★★
『三割打者』★
『パッション』★
『雲の上』★★★
『あの子』★
世界は彼女のためにある』●
『赤猫』★★★★★
『う・み・め』★★★
今年の映画美学校映画祭の最大の発見は『泥棒猫』だった。全くこの作品には教えられることが多い。自主映画で撮ることの意味について、先週から考え続けていただけに、自主映画が本質的に持っているべき、自由さ、伸びやかさ、創意工夫に満ちあふれたこの作品に出会えたことは望外の喜びだった。その意味では、作家の意図を超えて真に教育的な作品。『骨』の作家には期待し続けている。今度はフィクションを撮ってもらいたい。『雲の上』の完成度の高さにも驚かされたが、どこか古色蒼然たる感じがしないでもない。ただしあの薬師丸ひろ子の歌にはやられた。次回は8mmではなく、16mmかDVの同録でぜひ。『赤猫』は素晴らしい。ただもう少し物語が長くてもよかったのではないかという気がしないでもない。猫の色も統一したほうがよかったように思う。『う・み・め』はこの作品の世界観にのれるまでに時間がかかったが、馴れてくれば結構面白い。ただし現在、世界でもトップレベルのこの映画作家の作品としては、決して最上の部類には入らない。過渡期の実験作か。さて今日の最大の問題作『世界は彼女のためにある』の検討に移ろう。端的に言って、この作家の悪ふざけにのれるかのれないかで、この作品に対する評価は変わってくる。私はのれなかった。時折見られる切り返しショットの的確さに、表面上のルーズさに隠されたこの作家の実力の一端がうかがえる。しかし映研の学生が作った最悪のパロディ映画の見本のようなこの作品は正視に耐えなかった。ガンダムだかエヴァンゲリオンだかしらないが、そんなものに付き合っている余裕は現代の映画作家にはないはずである。この作品の見せ場の一つの元ネタとなったと思しき『合衆国最後の日』を見て一体、何を学んだのか。ストローブも言っているではないか、「リフェランスをもつフィルム、映画がそれ自身の対象となることは、おぞましいことだ」と。それとこの映画に限らず、近年の映画美学校制作の映画で女性の裸体をしばしば目にするが、大抵の場合、撮り方に繊細さを欠いているし、安易な使われ方をしてあまり効果的でもない。『赤猫』や『泥棒猫』を見れば明らかなように、女性を裸にせずともエロスを表現することはできる。