ともしび

hj3s-kzu2004-09-14

a)『明日を創る人々』(山本嘉次郎/黒澤明関川秀雄
b)『ともしび』(吉田良子)
b)この映画作家の最大の野心は、男女の視線を交わらせることなしに恋愛映画を撮ってしまおうというものである。ここでは、男女の愛を表現するのに、肌を触れあわせることはおろか、視線を交わすことすら必要とされていない。触覚も視覚も排された世界の中で、中心的な感覚として浮上してくるのが聴覚である。そのため、すらりとのびた長身の背中をまるめて張りついたように壁や扉に耳を押しつける姿勢がヒロインを特徴づけることになる。注意深く耳をすませて、壁の向こうで愛するものが立てる物音を一つ残らず聴き逃さないようにすること。彼女が様々な手段を講じて自分の愛する男の周りに住むマンションの住人たちを次々に追い出していくのも、彼が立てる音の粒子の一つ一つを、ノイズを排した純粋状態で享受したいからに他ならない。そしてそれに成功し、彼の隣の部屋に引っ越してきた彼女は決して彼との距離を縮めようとすることはせず、ひたすら全身で隣室の物音を受け止め、ただそれだけで幸せなのだ。彼女が同僚の男とふとした気紛れから危うく関係を結んでしまいそうになったのも、隣室の物音が聞こえなくなったからに過ぎない。また自分の愛する男と性交したばかりの蒼井そらを尾けて彼女を抱き締めたのも、ついに実現することのなかった愛の行為の代わりに彼女を通して彼の温もりを感じたかったからではなく、ここでの蒼井そらが自分と愛する男とのコミュニケーションにとって必要不可欠な一枚の壁のような存在だったからに他ならない。住むものがいなくなったがらんどうの部屋で最後に一人ヒロインが涙を流すのも、彼が去ってしまったからではなく、彼の立てる物音をもう永遠に聴くことがないからである。凡庸な作家であれば、二人を雑踏で擦れ違わすなりして、一瞬、二人の視線を交叉させてしまうところだが、この気高い処女作の作者は決してそうした誘惑に屈することなく、断固として最後まで二人の視線を交叉させることはないだろう。彼女は賭けに勝ったのだ。なお時折見ていて、ヒロインがどの部屋にいるのか分かりづらかったり、バイクが登場しても一向に運動感を煽り立てることがなかったり、舞台となるマンションのドアの前にある衝立てが邪魔だったりと演出上の欠点はないわけではないが、そうしたことはこの映画の数々の美点に比べれば些細なことである。何よりヒロインの河井青葉のクローズアップで始まり、クローズアップで終わるこの映画の彼女の美しい顔を見ているだけで、上映時間の79分はあっという間に過ぎてしまうに違いない。そしてこの映画におけるエロスとは、絶えず外部に晒された彼女の顔であり、それを見つめる映画作家のまなざしである。そのために、この作品にあっては裸体すら不必要に思えなくもない。必見。
エロス番長@ユーロスペース(『ともしび』は9/17までなので注意!)
http://www.eigabancho.com/kokai.html