ヒットラーの狂人

hj3s-kzu2006-03-25

a)『ヒットラーの狂人』(ダグラス・サーク)★★★★
a)「強制は抵抗勢力を生み出す(pressure creates counter-pressure)」と老哲学教授が学生たちに述べたその時、ハイドリッヒ(ジョン・キャラダイン)が武装した親衛隊員たちを率いて教室に乗り込んでくる。彼は教壇の側に腰を据え、老教授にそのまま話を続けさせる。少し間を措いてからおもむろに彼は教授に尋ねる。あなたの語っているのは哲学的問題であって政治的な問題ではありませんよね。それに対し老教授は答える。哲学は生のあらゆる領域を扱います。ハイドリッヒは教授を突き飛ばし、教壇の上の書物を手に取る。カントの『永遠平和のために』*1。彼は書物を放り投げ、教授の席に腕組みをして座り、教壇にブーツのまま足を載せる。権力の傲慢。
医務室の壁にそって並ばされた女子学生たちの名前と年齢が読み上げられ、ハイドリッヒが彼女たちの品定めをする。彼は女子学生たちを従軍慰安婦としてロシア戦線に送ろうというのだ。眼鏡を奪い取られ、泣き顔を見せる美しい女子学生に、彼はロシアに行ったら兵隊たちに「pressure creates counter-pressure」(性的な意味で)を教えてやってくれと言い、卑猥な笑みを浮かべる。品定めが終わり、カーテンを閉め切った部屋の窓が開けられる。次は身体検査だ。彼女たちから悲鳴が上がり、そのうちの一人が親衛隊員の制止にもかかわらず、窓から投身自殺する。ハイドリッヒは皮肉な笑みを浮かべて部下に言う。「知性の犠牲者がもう一人増えたな」。優雅な邪悪さとも言うべきこのシーンでのジョン・キャラダインは本当に素晴らしい。
この後、彼は、教会の行列にオープンカーを猛スピードで突っ込むわ(このスピード狂ぶりは『心のともしび』の冒頭のモーターボートに乗ったロック・ハドソンに通じるものがある)、司祭をその場で射殺するわと、凶暴な「狂人」ぶりを発揮するのだが、こうした彼の極悪非道ぶりに対し、ついにチェコ人たちは抵抗を開始し、イギリスから帰還した特殊工作員とその恋人、彼女の父親の三人がチームを組んで、山道でハイドリッヒを待ち伏せする。
遠くから砂埃を上げて猛スピードでやってくるハイドリッヒのオープンカー。目の前に自転車に乗った工作員の恋人が飛び出してきて轢かれそうになる。*2再び車は発進するが、ハイドリッヒは彼女に気を取られ油断する。その隙を突いて、山道脇の木の陰に隠れた工作員の機関銃が火を吹き、さらにオープンカーめがけて父親が爆弾を投げつける。車はあっという間に崖から転落する。この呆気に取られるほどの活劇的呼吸の素晴らしさ(こうした活劇をサークがもっと撮らなかったことが残念でならない)。ここで、それまでコメディリリーフだった猟師がいきなり現れて主人公の窮地を救うところの描写も嬉しい(彼は敵をライフルで倒した後、ウイスキーの小壜を取り出して一杯引っ掛ける)。
しかしこの後の展開は本当に救いがない。『死刑執行人もまた死す』のラングでさえ、ジーン・ロックハートスケープゴートにすることである種のカタルシス(それは反ブレヒト的な姿勢なのだが)を用意していたというのに、ここでのサークはさらに絶望的であり悲観的である。まず暗殺実行犯の恋人たちが逃亡途中でゲシュタポたちと撃ち合いになり命を落とす。さらに、この事故で致命傷を負ったハイドリッヒは間もなく絶命するのだが、その彼がヒムラーに伝える最後の言葉は「皆殺し」である。ヒムラーはこの「狂人」の凶暴な遺志を忠実に実行に移し、リディツェ村の住民を村の広場(そこには身体に矢の刺さった聖人像が建っている)に集め、男は全員銃殺、女子供は強制収容所行きだと宣告する。男たちが裏庭に集められ、機関銃が火を吹こうとするその時に、抵抗としての歌があの猟師によって歌われ、皆が唱和する。その歌が止むまで機銃掃射が行われる。こうして地上からひとつの場所が姿を消す。ナチによって村中に火が放たれる。その炎の中から亡霊たちが次々と現れ、私たちに戦えと語りかける。*3
モデルとなった実際の事件の記憶もまだ生々しいその半年後に、ジョセフ・リュイスやエドガー・G・ウルマーの傑作群で知られるB級映画専門のスタジオPRC製作で、一週間ほどで早撮りされたにもかかわらず、オイゲン・シュフタンの手になる格調高い画面を持つこの映画は、「立派すぎて会社のカラーにそぐわない」と判断され、MGMに売り渡される。*4コロンビアとの契約(監督ではなく脚本家としての)に縛られ、失意にあったサークがMGMのスタジオでこの映画の追加撮影をしていた時に、キング・ヴィダーがやってきて彼を励ましたという泣かせる逸話が『サーク・オン・サーク』で語られている。*5
(十五年くらい前からずっと見たい見たいと思っていたこの傑作を見る機会を提供してくれたSCRくんに感謝します。)

サーク・オン・サーク (INFAS BOOKS―STUDIO VOICE‐boid Library (Vol.1))

サーク・オン・サーク (INFAS BOOKS―STUDIO VOICE‐boid Library (Vol.1))

*1:この書物は「いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない」(第一章第五条項)というテーゼを含む。

*2:この時、教会の行列に突進した時のような車内からのショットが反復される。

*3:こうしたカタルシスのなさはこの映画が対独プロパガンダ映画としての機能を果すものだということを割り引いて考えてもかなり異様である。ある意味、ブレヒトが協力した『死刑執行人もまた死す』よりもブレヒト的と言ったら言い過ぎか。

*4:蓮實重彦『ハリウッド映画史講義』、p.136

*5:『サーク・オン・サーク』、p.128